僕たちの住んでいる新成洞という集落に、ブレンダという名の隣人がいる。
名前を見ればわかる通り、彼女は韓国人ではない。
ブレンダはフィリピンから来た。

彼女はミカンおばさん(オクスンさん)の義弟の嫁にあたる。
その関係で、ミカン収穫の作業にも毎日のように駆り出されている。
そのなかでキョンアさんはブレンダと接触する機会が増え、いろいろな話をするようになった。

彼女には二人の息子がいる。
一人は小学校高学年、一人は幼稚園児。
上の子の名前はコンミンという。

ブレンダには一つの不満がある。
それは親戚や知り合いの誰も彼女の名前を呼んでくれないことだ。

韓国では子供が生まれると、その両親は「~のお母さん」「~のお父さん」と呼ぶことが多い。
例えば義母は義父を呼ぶとき、「ヨンナミアッパ(영남이 아빠;ヨンナムのお父さん)」と言っているし、上のお義姉さんは「ハニョリオンマ(한열아 ;ハニョルのお母さん)」となる。

だから、ブレンダの場合は「コンミニオンマ(겅민이 엄마)」となる。
彼女の周りにいるほとんどの人が彼女をそう呼んでいる。

彼女はそれが不満である。
自分の名前ではなく、「コンミニオンマ」と呼ばれるたびに、個人としての人格を尊重されていないと感じる。
母親としての役割を強要されている……とまで感じているかどうかはわからないが。

キョンアさんはその話を聞いて、彼女を呼ぶときは必ず「ブレンダ」と言うことにした。
そして、そのことを知った僕やハーモニカおばさん(インスクさん)も。
そのおかげもあって、いつも消極的でうつむきがちだったブレンダがキョンアさんには心を開き、笑顔で冗談を言ったりするようになった(たぶんそれが本来の彼女のキャラクターである)。

僕は「~オンマ」という表現が悪いとは思わない。
それは家族とその中での役割を重んじる韓国の伝統の中から生まれたユニークな言語表現であり、韓国文化のおもしろい一面だと思っている。
そういった表現に、家族の一員という実感や、母親としての自覚を見いだして、喜びを感じる人もいるかもしれない。

でも、ブレンダのように外国から来た女性は強い違和感や不快感を感じる可能性があるということに気がつかされた。
それは個人の人格よりも家族内(あるいは女性としての)役割を強調する社会に対する拒否反応なのかもしれない。
そんなことを思いながら、僕はずいぶん前に読んだ『82年生まれ、キム・ジヨン』のことを思い出した。

日本でも話題になった小説であり、映画化もされたこの作品。
主人公のキム・ジヨンが女性という理由で不条理な常識をおしつけられ、心を病んでいくという話である。
この中でも、家族関係における女性の役割を強要されて悩む場面があったと記憶している。

家族と個人の関係が変わっていくなかで、韓国人であってもブレンダのような不満を持つ人は多くいるのではないかと思う。
そういう意味では、ブレンダの悩みは外国人居住者のカルチャーショックというだけではなく、現代韓国の普遍的な問題なのかもしれない。

だから、キョンアさんやインスクさんにはその感覚がすぐに理解できたのだと思う。
でも、新成洞の地元の高齢者たちにそれを説明して説得するのは、残念ながらかなりハードルが高いように感じる。

ブレンダはキョンアさんに心を開き、表情も明るくなったと感じる。
でも、僕たちもインスクさん夫妻も、もうすぐ引越しする。
その後、ブレンダの悩みを理解してくれる誰かが現れるのか、かなり心配なところである。

ブレンダが新成洞のキム・ジヨンにならなければいいのだけれど。

※ 次は木曜日に更新します

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