昨日、ミカン畑で一日アルバイトをしてきた。
10月から1月にかけて、済州島はミカン収穫のシーズンである。
韓国でミカン栽培に適している地域は済州島ぐらいしかなく、そのため韓国で生産されるミカンのほぼすべては済州産らしい。
そんな済州島のなかでも僕たちが住んでいる南元は、ミカン農園が集中している地域である。
だから、この時期は地域のおばさんが中心となって、毎日のようにミカンの収穫が行われる。
ミカンをハサミで切る仕事は、そんなおばさんたちの仕事である。
そこに、少数ながら男の労働者も混じっている。
彼らの仕事はおばさんが収穫したミカンを入れるカゴがいっぱいになったら、それをリヤカーに乗せて運ぶことである。
僕が昨日したのはまさにそんな仕事だった。
ミカン収穫は朝7時半ぐらいから始まり、夕方17時に終わる(間に昼休憩1時間、小休憩30分x2)。
やってみると、体力的にけっこうきつい仕事である。
僕みたいに一日体験みたいな感じでやるならまだしも、これを3カ月毎日やるのはかなり骨が折れると思う。
そんなわけで、この仕事を担当するのはほとんどが外国人労働者らしい。
昨日、僕といっしょにリヤカーの仕事をしたのは、カルランというネパール人青年(28歳)であった。
彼はある農家と専属契約をしていて、月給制でこの仕事を毎日しているらしい。
最初は僕も仕事の要領がわからず余裕がなかったし、彼も初対面の外国人と何を話していいかわからない感じで、お互い黙々と仕事していたのだが、時間がたつにつれだんだん打ち解けてきて、ポツリポツリと身の上話をした。
カルランはネパールに妻と2歳の娘を残して出稼ぎにきていると言った。
1年半前、友達8人で連れだって済州島に来た。
故郷はカトマンズから車で二時間、家が貧しくて小学校を卒業してからずっと働いている。
済州島に来る前はマレーシアの工場で仕事をしていたこともあったそうである。
娘さんの写真を見せてもらったが、目がパッチリとした人形のような女の子であった。
彼は3年ビザが切れるタイミングでネパールに帰るか、ビザを延長して済州島に残るか迷っている。
ここからは僕の想像だが、彼がそんな身の上話を話す相手は一緒に来た友達数人以外にいないのではないかと思う。
カルランは3ヵ月韓国語の研修を受けており日常会話はそれなりにできるのだが、農園の仕事仲間や雇い主はおばさん(おばあさん寄りの)であり、済州方言がきつくてなかなか会話になりにくい。
多少若い人でも、話すのが早かったり難しい文法を使ったりするので、3ヵ月の韓国語ではかなり難しい。
昨日、彼が僕にすこしでも身の上話をしてくれたのは、僕自身が外国人だということもあって外国人にわかりやすい韓国語をゆっくり話したことと、英語を多少まじえて話すことができたからだと思う。
彼の周りにはおそらくそんな韓国人はほとんどいないだろう。
済州島という大きな田舎において、特に郊外の農園という過疎の地域社会において、カルランのような外国人労働者の存在はやはり孤立している。
カルランは誠実でおとなしい性格で、仕事も非常にまじめにできる人物のようで、雇い主や仕事仲間から認められている。
でも、彼と積極的にコミュニケーションを取る人はいないし、そういう雰囲気自体がないように見える。
農園の人たちにとって、あくまで彼は一人の「外国人労働者」であり、友達づきあいしたり親しく話すような対象ではないのである。
そういうのって、なんかとてももったいないと思う。
カルランの人生談や苦労話、ネパールでの生活、出稼ぎに出るまでの経緯……などなど
彼が語れる範囲の話だけでも、ネパールという国のことを知るのにものすごく大きなヒントになる。
韓国(あるいは日本)のような豊かな国で生まれることと、発展途上国に生まれることの違いも肌で感じられる。
それだけでも視野がグッと拡がるし、物事を考える視点も変わってくると思う(人それぞれだとは思うけど)。
目の前に生きた教科書があるのに、それを読もうとする人はいない。
どうにかして、そこが繋がればいいのになと思う。
でも、それぞれの生活からはみ出てわざわざそんなことをやろうという意欲は双方ない。
もったいないもったいない。
この「もったいない」を何らかの形にできないか。
カルランとのつかのまの交流を通してそんなことを考えた。
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