韓流ぴあpresent
『モーツァルト!』韓国10周年記念公演
配信を観ました
私はぴあ配信で3公演を観ました
8月9日 17時~ パク・ウンテ
8月10日 17時~ キム・ジュンス
8月11日 19時~ パク・ガンヒョン
韓国版「モーツァルト!」を観るのは、
2011年の再演版から9年ぶり!
日本版は2018年に観ました
時が経ち記憶も大分薄れてるし、当時は韓国語も解らず、
ジュンスしか見てない観劇でした
今回は演出も違うし、新しい曲も入ってだいぶ違う印象
新コロナウイルス感染が収まらず、諦めていた観劇を
配信という形で叶えてくださったEMKと韓流ぴあ様
どうもありがとうございました
忘れないうちに感想など綴っておきます
8月10日 17時〜
シャチャルト
ヴァルトシュテッテン男爵夫人
:シン・ヨンスク
セシリア・ヴェーバー(ナンネールの母)
: キム・ヨンジュ
写真をお借りしました
「プレストビバーチェ!」と叫びながら赤いコートの入った箱を持って
走って来る登場シーンが懐かしい
それにちょっとぽっちゃりしたようなシャチャルト
シャチャルトの第一印象は、純粋無垢で自尊心の強い末っ子の甘えん坊
大人になりきれない天才肌の青年
この可愛らしさは他のキャストにはないなぁ
父親のレオポルトが心配するように、靴ひもも1人では結べない
ネクタイも結べない
作曲の才能があるのに親の言うことを聞かない不甲斐ない息子
舞台をドタバタと走り回り賑やかなシャチャルト
夢や希望と才能でバンバンに膨らんでるゴムボールが
あちこちにぶつかって弾んでるみたい
でも「エリザベート」トート役の時は白鳥が滑るようにスーッと歩いてたはず!
この歩き方もアッパぁ~と父親を呼ぶ甘ったれた口調も役になりきる演技なんですね!
ジュンスとシャチャルトの境界線がないのは、役にどっぷり浸かってるから?
憑依体質ですからねぇ!
でもインタビューを読むと、冷静に演技プランを練って演じているようで
恐ろしい子
第1幕が可愛らしい分、第2幕のヴォルフガングの苦悩や悲しみ、
そして錯乱が見ていて息苦しいほどでした
熱演のせいか、汗びっしょりでポタポタ垂れるのが見えるほど
舞台上では汗も拭えないし
2011年の再演を2公演観ていますが、
演出がかなり違うし新曲も入っています。
変わってしまって残念な演出もあるし、
良くなったものもある
舞台美術が「笑う男」と同じ方なので、
サーカスの場面などが似ているような
感じがしました
EMKのミュージカル10周年の大集成ですね
家族の葛藤や生憎が以前より重視されて、
大司教の抑圧や
知人に騙されて賭け事で財産を失うなど、
韓国ドラマを見ているような感じ
まさに韓国のお国柄の「モーツァルト!」
日本語字幕が歌の主旋律が横で
コーラスやハモリパートは縦と分かれて、
今まで見た日本語字幕でとっても内容が解りやすかったです
まさにストレスフリー
そして内容が把握できる分、ラストのヴォルフガングの死は辛かった
こんなに重いラストのミュージカルだったかなぁ~ ←新演出だそうです
第一幕
プロローグ
冒頭赤いコートを着た後ろ姿で光の中に入って行きます
墓場でコンスタンツェ達が頭蓋骨を探すシーンの後
幼い頃のヴォルフガングは宮廷で目隠ししてピアノを弾いて、
家族のためのお金を稼いでいます
演奏の後、
皇后からの息子マクシミリアンの赤いコートを貰います
小さくなった赤いコートの代わりに、新しいコートを取り寄せて喜ぶ
ナンネールとヴォルフガング
ですが、レオポルトからは叱られる
この頃はヴォルフガングとアマデは仲良し
「赤いコート」から「僕こそ音楽」
父レオポルト役 ホン・ギョンス
レオポルトの机にはヴォルフガングの赤いコートやバイオリンや
写真が飾られています
ヴォルフガングを愛していたけど、
支配して手放さない父レオポルト
パリに演奏旅行に母を連れて行ったヴォルフガングですが旅先で母は亡くなります
「残酷な人生」ヴォルフガング
ザルツブルグ 居酒屋
シネカーダ
見世物小屋のシーン
シャチャルトがチョンサポーズなどして、アドリブが楽しい
赤いコートを着て貴族の真似かと笑われますが、ヴォルフガングは
自分は貴族より優れてるから着ると言い張ります
ヴァルトシュテッテン男爵夫人役 シン・ヨンスク
「黄金星」


第1幕最後の曲

貴族との決別をして、象徴の赤いコートを着るのをやめて
青いコートを着るヴォルフガング
舞台にはグランドピアノとソファと鏡と
赤いコートが飾ってあります
「愛していれば分かり合える」を歌うとき
初演はベットがあってコンスタンツェと倒れこんた気がしますが
姉ナンネールの歌う
「プリンスは出て行った」
綺麗で大好きな曲ですがナンネールの気持ちを
思うと悲しい
「ダンスはやめられない」
コロレド大司教 ミン・ヨンギ
「神よなぜ許される」
モーツァルトの作る音楽に取り憑かれた男
の支配欲や妬みや嫉み!
大司教のイヤーな人柄を朗々と歌い上げ、
説得力のあるコロレド大司教でした
父レオポルトとの言い争いの後でヴォルフガングが歌う
「何故僕を愛せないの?」
「このままの僕を愛してほしい」と歌う
ヴォルフガングに涙
仮面舞踏会では白い上着を脱ぎ、黒いブラウス
コンスタンツェの家族が来て作曲しろと
詰め寄るところに
コンスタンツェから父の死を告げられ、
父への懺悔と後悔を歌うヴォルフガングの首を絞めるアマデ
ここから錯乱して、訳の分からないことを叫び暴れる
ヴォルフガングが哀れで悲しい
コンスタンツェにも見捨てられ
作曲に没頭
オペラ「魔笛」を作曲
名声を得るけど
コロレド大司教には頭は下げないヴォルフガング
破滅への道
レクイエムの依頼
4週間で取りに来るけど書けない
モーツァルトモーツァルト
最後はリプライで「僕こそ音楽」から
「影を逃れて」
明るく夢を語った「僕こそ音楽」が
絶望の気持ちで歌われます
ラストの演出
アマデに腕をペン先で刺されて失血死するヴォルフガング
アマデが大切に抱えていた箱を
ナンネールが開けるとなかは空っぽ
僕は運命から逃れたいと歌うヴォルフガングの
見ている前で、
父親のレオポルトがアマデを抱きしめるシーン
これは初演にはありませんでしたし、
日本版でもこんなラストではなかった
解釈は色々とあると思いますが
父親のレオポルトが人間ヴォルフガングではなく、
アマデの才能だけ愛していたとしたら、
あまりに悲しい結末です
ジュンスのインタビューより
そして最後に歌う「影を逃れて」の解釈を付け加えた。キム・ジュンスは「私は「私の運命から逃れたい」を歌ってアマデとお父さんがお互いに走って行って抱き締めるシーン」と言い「悲劇と喜劇、明確ではない開かれた結末」と言葉を加えた。
「最後までパパは天才だけを愛したんだなと受け止めることもできます。しかし、私は逆に考えています。私がその歌を歌いながら二人を眺める感情は死ぬ瞬間の幻影です。死ぬ直前に見て、アマデは天才性ではなく、「子供のモーツァルト」という気がします。最初のシーンのアマデはモーツァルトの子役でもありますからね。」
続いて「だから、父が「天才性」アマデではなく子どものモーツァルト、ありのままの私を抱いてくれると感じている」と付け加えた。
「その夢を死んでゆきながら幻影として見たのではないだろうかと考えながら、「影を逃れて」を歌う。この歌を歌いながらの「胸が詰まってグッとくる思い」は1幕の最後のの悔しさではなく、切ないですが夢だとしても見たいシーンですね。」
upappiさんの訳をお借りしました
芸術家は自分を削るように作品を生み出しでいる
ペン先に血を吐き出すように作曲する
天才モーツァルト
私が2011年から9年ぶりに観た「モーツァルト!」は
ズシーンと重く心にのしかかる作品でした
カーテンコールは
「黄金星」
劇中ではセリフの無かったアマデが話して
歌い始めるのをレオポルト役の
が優しく見守るのがほのぼのしました
良い演出ですよね
シャチャルトの声は熱演後でしゃがれてました
ジュンスは明日がないように演じると
皆んなが言う意味がわかりました
ただ、今回の「モーツァルト!」でシャチャルトは、
以前のような、ホー!と高く伸びるハイトーンでは歌っていませんでした
鈴の音のようなジュンスのハイトーンが好きだったんだけどなぁ
懐かしい2011年の「モーツァルト!」カーテンコール映像
やっぱり若いジュンス
ウンテさんとドンソクさんも出てますよ
おまけ
靴の紐結べるのね〜
