

ジュンスの兵役まで、色々な事を綴りたいと思ってましたが、

今年一年がジュンスにも皆様にも良い年でありますように。




ジェジュンが兵役から帰ってきましたね~







キム・ジュンス - 「僕は僕は音楽」公演実況公開!(Happy new year!) 김준수 - ˙나는 나는 음악˙ 공연 실황 공개 ! (Happy new year!) C-JeS Entertainment
Vライブで見れます
아시아의 별 시아준수@asxjunsu
[V LIVE] 김준수 - '나는 나는 음악' 공연 실황 공개 ! (Happy new year!) https://t.co/Mr94uelk84 #김준수 #XIA
2017年01月01日 10:07
雑誌の撮影のこの写真が素敵すぎ


韓国のアーティストグループ「JYJ」のキム・ジュンスが12月、兵役に入る前の最後となるソロコンサート「BALLAD MUSICAL CONCERT vol.5」をさいたま市と大阪市で開いた。合わせて約6万人を動員し、会期中には30歳の誕生日も迎えた。「アイドル」から大人のアーティストへと年を重ねたジュンスに、これまでの芸能生活と入隊前の思いを話してもらった。
――2月に入隊するそうですが、この1年、どんな思いで活動してきましたか?
残された1年、はっきりプランを組んで仕事をしてきました。いつもよりとても忙しく慌ただしい日々でしたね。軍隊に行ったら、歌手活動もミュージカルもしばらく休業になります。(JYJとしての)7年間の最後をしっかり整理したい気持ち、「有終の美」を飾ろうと、一生懸命、最善を尽くそうと仕事をしてきました。
最後まできちんと活動できれば、入隊中の2年間、ファンのみなさんが私を待っていてくれるんじゃないかという思いもあります。まだひと月ありますから、最後までしっかり頑張ります。
――10代で「東方神起」のメンバーとして日韓でデビューし、アジアで大ブレーク。20代はグループから脱退した一方で、ソロ活動やミュージカルへの出演など活動の幅を広げてきました。芸能生活12年は、あっという間でしたか?
あっという間、ではないですね。「東方神起」の時の活動はあっという間でしたが、その後の活動は新しいことへの挑戦や、乗り越えるべきこと、プレッシャーがたくさんありました。(芸能活動を巡る)裁判も色々ありましたし。こんな経験を20代でした芸能人ってほかにいるかなって思うほど。でも、一つずつ乗り越えてからは、どんなことが来ても乗り越えられる力が備わったように感じます。そういう意味では「いい経験だった」と思えるようにもなりました。
――事務所を移籍し、3人で新たに「JYJ」を結成しましたが、韓国でも日本でも様々な障壁があったと思います。「もう耐えられない」と思ったことも?
あります、ありますよ。僕も人間ですから。正直あきらめようかと思ったことは何回もありましたよね。
――それでも活動を続けた「原動力」は何だったのですか?
それはもう、ファンのみなさんの存在ですよね。みなさんがいてくれたからこそ、さまざまな障害に絶対に負けたくはなかった。心が揺れてるときも、ファンのみなさんからもらう力や勇気から、また力が湧いてきました。
この7年間はテレビ出演がほとんどない一方で、ライブやミュージカルなどでファンと直接つながる活動を続けてきました。自身の音楽や活動姿勢に変化はありましたか?
テレビに出る機会が減ったことは寂しいですが、代わりにパフォーマンスのすべてをライブにあわせて作るようになりました。音楽を作る時も、舞台の上で僕ができるパフォーマンスを考えながら作ってきました。その変化は、僕の公演にいい影響を与えたんだじゃないかと思います。
数年前からミュージカルの舞台にも立ち始めたので表現方法も広がりました。ミュージカルのパフォーマンスをライブの舞台にまぜて、より魅力的なステージをお見せ出来るようにもなったと思います。そういうステージ自体を僕の「シグニチャー」に出来たんじゃないかと思ってます。
――今回のコンサートもミュージカルを中心に構成し、入隊直前にもミュージカル「デスノート」に出演しますね。
今の僕にはミュージカルが本当に大切なんです。活動を休んでいた時期の後、再び舞台に立てるようになったのがミュージカルでした。再び歌えたのもミュージカルだったし、賞を頂いたのもミュージカル。授賞式で久しぶりにテレビにも映りました。「あきらめなくてよかった」と思わせてくれたし、新しい人生、新しい夢をもらいました。ですから入隊前「最後」の活動もミュージカルにしたかったんです。
――歌手やアイドルの活動だけでは知ることがなかったその魅力を言葉にすると?
ミュージカルは20回、30回と舞台に立つごとに全部違う。全部が「生」です。それがとても魅力的です。例えば映画は10年後に見ても同じですが、ミュージカルは同じものを二度とは見られません。
「歌手」と違うのは、演技、歌、表情、すべてが必要なことですよね。ミュージカルは歌詞が台詞になって、感情で歌います。俳優たちが様々な感情を交わしながら一緒に作っていく。感情を交わしながら歌うときが本当に楽しいんです。そして最後に観客から頂く拍手の音。これは本当にすごい!
――コンサートでは何度も「日本でもミュージカルを演じたい」と話しました。
ええ、本当にやりたいですよね。いつか日本で、日本の俳優さんと一緒に日本語でミュージカルをやりたい。実現するかは分かりませんが、僕が今まで韓国でやった演目、「ドラキュラ」「エリザベート」でもいいし、新しいものにも挑戦したいですよね。
――兵役を終えたら、どんな姿でファンの前に現れたいですか?
(活動を離れる)不安はあります。でも、例え僕が兵役を終えて戻ってきたときに、ファンのみなさんが目の前からいなくなっていても、今までみなさんからもらった愛があり得ない「奇跡」だと思っているので感謝の気持ちしかないんですよ。何年か前に「自分はもう終わりかもしれない」と思いました。ですから今までこうして活動を続けてこられたことは奇跡ですし、そのことへの感謝しかない。戻ってきた時には、その気持ちでまた頑張りたいと思います。
兵役の間に、みなさんにもらった気持ちを心の中で繰り返しながら一人の人間として余裕を身につけて戻ってきたい。そして戻ってきたとき、さらに新しいジャンルにも挑戦できるといいですね。
――韓国人アーティストのジュンスさんにとって、日本での活動の意味やファンの存在を改めて言葉にして頂けますか?
日本は私にとって第2の母国のように多くの愛と熱烈な声援をくれた国ですから、久しぶりに日本に来てもいつも同じように歓待をしてくれて、変わらぬ愛をみせくれる故郷のようなところです。だから感謝しても、しきれません。
自分は外国人歌手ですよね。ですから日本では特にテレビ出演ができなければ、ファンの心は遠ざかってしまいます。実際、この7年でそういうこともあったでしょうし、当然のことでもあります。でもそれにもかかわらず、7年もの間、ファンのみなさんは精いっぱい応援してくださいました。そのことに対して言葉が見つからないんですが……。いろんな意味で感謝しています。
これまでの自分の歌手人生の半分は日本でした。自分がここまで成長できた時間は、日本のファンのみなさんと過ごした時間、日本での思い出の中にありました。
いまそんな全てを思い出しています。
本当に、ありがとうございました。
◇
キム・ジュンス 1986年、韓国生まれ。2004年に「東方神起」のメンバーとして日韓で芸能界デビュー。10年にキム・ジェジュン、パク・ユチョンと3人で芸能事務所を移籍し、新たに「JYJ」として活動。同年、「モーツァルト」でミュージカル俳優としても活動を始め、12年には「韓国ミュージカル大賞」の主演男優賞を受賞。1月3日~26日、ソウルでミュージカル「デスノート」に出演する。
◇
インタビュー中、ジュンスは何度も「この7年」という言葉を口にした。
2人の仲間と「東方神起」から離れ、芸能事務所を移籍して活動してきた7年の、道のりの厳しさがうかがえる。
実際、芸能活動をめぐる訴訟を複数経験し、移籍後は日韓のテレビ音楽番組での出演が激減するなどの「逆風」に直面してきた。
韓国では2015年、JYJがテレビ音楽番組に出演できない「事情」を問題視した国会議員の発議で、第三者の圧力によって放送会社が特定の人物の出演中止を禁止する規定が放送法に盛り込まれた。
「この7年」で、ままならなかったテレビ出演の代わりにジュンスやJYJが力を注いだのは、ライブなど「生」の現場で歌や言葉をファンに直接届けることだった。ネット時代とはいえ、テレビ出演が減るほどに人気も危うくなるのは芸能界の常。それだけに、インタビューの中でファンに対する感謝を様々に語ろうとする姿は印象的だった。
コンサート終演のあいさつでは、客席にこう語りかけた。「あきらめそうになった時、毎回僕たちの手をつかんでくれたのがみなさん。みなさんがいないと何も出来ませんでした。みなさんのおかげで、本当に幸せでした」。芸能界という複雑な世界で生き続ける難しさと、楽しさ。相反する二つをかみしめ続けた特別な「7年」だったのだろう。(浜田奈美)
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お雑煮は、両親が仙台だからしょう油味のおつゆに鶏肉や小松菜などに
