貧困と貧乏 3記事 ラストです
ここまで書いて、
書きながらモヤモヤの原因が何となく分かった
結論は ただの愚痴 だと思う
付き合わせたのにくだらなくてすみません
やはり、書くことは重要だなー
前回前々回の記事で
- ニュースで用いられる“貧困“とは、他者との比較でしかないこと
- 今の日本は誰しもが昔と比べて豊かであること
- 母子家庭だろうが、両親揃っていようが貧乏は貧乏だということ
- お金がないことよりも貧しい現実があること
- 子どもの頃に植え付けられたパラダイムからは、大人になっても抜け出すことが困難である
こんなことを書きました
さて、最後は借金の話
私は、過去に何度も人にお金を貸したことがある
そのうち半分は今返済中で
残りの半分は連絡も取れなくなった
「金の切れ目は縁の切れ目」というのは本当で、
そもそもお金の貸借りがよくないと思う
5万10万の世界で
大切な交友関係をなくしてしまうというのは
私にはよく分からなかった
失うものの方が大きすぎる
私はそう思っていた
実際にはそれで、中学時代から仲の良かった友人をひとり失った 生活費が足りないからと5万円を何度か振り込んだ
最初は返ってきたがだんだん連絡が来なくなった
私も催促しなかった
だからそのまんま
不思議なのは、彼女のSNSは
キラキラと輝いていて、借金をするようには見えないんだよな
次にお金を貸したのは
息子の同級生のお母さん
ひとり親で、子は重度の自閉症とてんかんで、なかなか定職につくのが難しいと言っていた
仕事がまともにできないので
公的支援が受けられないといった
私は、おこがましくも、
なんとか立ち直って貰いたいと思った
私は、当時空家だった持ち家をしばらく貸した。光熱費も契約者が夫なので夫が払っていた。たまに息子の面倒を見てくれればそれでいいから、その間に生活を立て直して欲しいと期限を決めた。
↓この家
これがよくなかった
なんとか立て直してほしいと思うなど
私の傲りで傲慢だった
その同級生のお母さん(以下彼女)は
ほどなくして仕事をやめた
仕事がないので子供に食べさせるものがない
学校に送迎する為の車のガソリン代がないと
何度かお金を貸した
もちろん返済は一度もない
しかし、その後も働くことはなく
当初の期限が過ぎても、何年も住み続けた
母子家庭なので
「児童手当」「児童扶養手当(ひとり親)」「特別児童扶養手当(重度障害)」と、当時コロナで様々な助成や貸付金制度があったので生活していたのだろうと推察する
実際に重度自閉症とてんかんのお子さんの看護は
私から見ても凄まじいものだったので
当時は、何とか支援したいと思っていた
だけど、何年も働かない彼女をみて
私は、私がやった行為は、彼女の生活を立て直すどころか、堕落させてしまったのだと自覚した
私は彼女を呼び出した
当初設定した期限から相当に期間が過ぎていることを伝え、再度期限を設定し、自立と住んでいる家の退去を伝えた
そして彼女は家をでた
必要なものだけを持ち出した状態で、ものは散乱していた
私は、それを片付け、処分し、修繕を行い、家を貸しに出した
片付ける時に驚いたことがある
彼女は、アルソックに加入し、新聞をとっていた。生協の発泡スチロール、アクアクララ本体がそのまま置いてあった。
生協の発泡スチロールとアクアクララは業者が引き取ってくれずに処分に苦労した
彼女は、【相対的貧困】にあたり、貧乏だ。
だけど、贅沢な暮らしだったと思う
このことに暫くモヤモヤしていた
と、書いていて気がついた
だけど、そもそも、自分(私)の行いが間違っていたのだからと、私は考えることを放棄し、彼女と距離を置いた
今は、息子の同級生の
重度自閉症とてんかん持ちの子が、
ただ元気でいてくれればいいと思う
その後、彼女は生活保護を受給し、役所にバレないように車に乗っている。と言っていた
失業中に購入した車は普通車だ
それ以降彼女とは会っていない
私が貧困について考えるようになった
1番最初の出来事だった
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