相対的な幸せ
幸せは相対的なものだ。
『絶対的幸せ』というものもあるが、これは、生きていること自体が、ただそれだけで幸せだと感じるというもの。
残念ながら、私にはこの考え方はできない。
2月の末
私には書きたい記事があった。
その前段として、この記事を書いた。
良かったら、本記事を読み進める前に、
↑の記事に目を通してほしい。
この記事を書いた後すぐに、私が本記事を書かなかったのは、私のメンタルに影響する何かがあったのだろう。
私は書きたいことが溢れている。
だが、気持ちが沈むと全く言葉が出てこない。書かないのではなく、書けないのだ。
そんな2月のある日のこと。
私は会社を退職してから、1年ほど、歯科に通っていなかった。
理由はただ一つ。
その歯科が前職場の近くにあるからだ。
わざわざ遠くの歯科に行くより、近くに変えるか。ともんもんとしていたら、一年が過ぎた。
私は前職場に対して思うところがあった。
働いていた時、私が話す速度は今の2倍。
思考のスピードも2倍以上。
常に複数のデバイス(パソコンやタブレット等)を持ち歩いて、複数のタスクを同時に処理していた。
運転するときも、運転しながら、常に仕事の電話(車と繋げて話すやつ)。
飛行機に乗る前には必ずアウトプットを済ませ、相手の仕上がりを待つ時間。
飛行機や新幹線の中でも常にパソコンを開く。
何を生き急いでいたのか。
常にそんな感じだった。
人の倍働かないと、今の給料は貰いすぎだと思っていた。だから、常に人より動いていた。
それでも、時間は有限で、子供がいる私は、ただでさえ他の人より時間が少ない。
だから、人の2倍速で生きていた。
そんな私は、退職してから
おそらく、定年後のサラリーマンのような、
虚無感に襲われることがしばしばあった。
これは、仕事が充実していたサラリーマンが
しばしば陥ることだと私は思う。
自分で決めたことだし、メンタル的な問題もあったから、とにかく休まなければならない。
が、休むことが苦痛だった。
かといって、私に家事がバッチリできる訳もなく、1人の時間は、なかなかに辛い毎日だった。
息子と家族を1番に考えた私の選択に後悔はない。だが、虚無感と付き合うことになる。
そんなこんなで、前職場に近づくことは、色々と思い出すので、私にとっては好ましいことではなかった。
だが、歯医者を変えることにも抵抗があった。
治療歴を分かっている歯科がいいよね。という理由と、もうひとつは、その歯科が、笑気麻酔という、痛みと不安を和らげてくれる麻酔を使ってくれる歯科で、痛みに弱い私にはそれが有り難かった。
だから、安易に歯科を変える選択をすることができず、1年間放置していた。
そんなとき、セラミックの被せ物が欠けた。
もう、迷っている場合じゃないと、私はずっと通っていた前職場近くの歯科に予約を入れた。
久しぶりの歯科。
診察台に腰掛け、椅子が倒れる。
そして、笑気麻酔。
私は、場所からの思い出しがすごい。
だから、職場の昼休み&職場帰りに行っていたこの診察台で『当時』への立ち返りも凄かった。
まんま当時の感情が流れ込んできて、
そのまま仕事に行けそうな感じだった。
で、流れてきた感情は、
『診察台に座っている間、メールが見れない』
『重要な連絡きてないかな』
『あのトラブルどうなった』(基本トラブルばっか)
『昼イチの会議迄に帰れるか』(何故か午後は会議ばっか)
などといったもの。
そこで私は思う。
『なんだ、私がやってきたことってこんなもんじゃん。』
そして思う。
今、自分の為に、時間を割いて医療とちゃんと繋がれる私は、今、しあわせだ。
そんなことに気付いた日。
夫の死とは関係ない。
これは私の人生の選択の話。
人生を2倍速で生きて、どこに向かっていたのだろう。何を成し得たかったのだろう。そして、何と戦っていたのだろう。
2倍速で生きていた私は、
きっと早く寿命を終えたことだろう。
大切なものに、時間を割ける今を、
自信を持って言える。
『今、しあわせだ。』