マインド・スラッジ | カラダとこころと自由のおはなし

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こんにちは、「♨さる、」です。「おふろさる」と読んでください。
ニッチな話が大半です。心身にまつわる独り言を、なるべく独りよがりにならないよう綴ってます。
ふつうに生きるしあわせのために。僕と似ているだれかのために。きょうを忘れた明日の自分のために。

はす

今回は天クロと関連が深い内容だけど、他の話に大きく展開するネタの結節点なので別扱い。

マインド・スラッジとは、心の中のさまざまな不完全燃焼物を指すおれの造語。なのでググっても出てこない。
スラッジ=sludgeとは泥、へどろ、沈殿物。エンジンやボイラーなど、燃焼物のカスが泥状になったものをイメージしてほしい。おれは人生の途上における思い残し・残念・心のゴミの総称としてこの語を充てている。
スラッジが溜まるとエンジンの動きはネバつきに妨げられ、エネルギー発生効率は大きく落ちる。こうなる前にオイルを交換してスラッジが溜まるのを防ぐ必要があるが、ひどく溜まってしまったときにはオーバーホール(解体メンテナンス)をしなくてはならない。

人間は生きている間、果たされなかった思いを無数に作る。その思いの実体は「思考」と「感情」に大別できるが、その多くは両者の混淆物。これらがスラッジとなって心のエンジンにこびりつく。それは具体的には

「あいつ許せない! 見つけたらただじゃおかない」という果たせない怒りや、
「あの人が死んでしまった……」といういっときには受け止めきれない悲しみや、
「どうしてこうなってしまったんだろう……」という哀しみや、
「あのときやっておけば……でも、もう間に合わない」という後悔や、
「あれってなんだったんだろう? どういう意味の言葉だったんだろう?」という疑問や、
「やらなきゃ、やろう、でも大変すぎてやる気が湧かない」という気力不足の欲求や、
「あれやってなかったな……けど今はこっちが優先だ」という保留、

などなど。こうした実に大小さまざまな負の感情と進行途上の思考が果たされないまま、人の気血を循環している。このスラッジは通常、大人になるほどに量を増す。
こうした「残念(ざんねん)」が、心のメモリのリソースを少しずつ奪う。それは身体の鈍さとしても表れ、子供時代の敏活さを無力感に置き換えてゆく。ひとつひとつを丁寧にクリアしてゆくことで人格に深みを増す磨石ともなるのだけれど、現代人は複数の理由からこのスラッジの処理がとても下手なうえ、スラッジとなりやすい出来事も増えてとても溜め込みやすくなっている。

おれがソーシャルゲーム・天下統一クロニクルの東京1位獲り作戦を主導(※直前の記事を参照してください)した直接のきっかけは、戦友のdefieroさんがゲームからフェードアウトした事だった。この段階では東京は何も成し遂げていなかった。なのでおれにはその事が「もう全部やり尽くしたな」じゃなく「もうやってらんないよ」という気持ちの表れと感じられた。
天クロの運営は任天堂やセガ、ナムコといったゲームを本業としている会社からは考えられないレベルの低さだ。大事な情報の周知不徹底や有料ガチャの誤記や脱漏のミスは当たり前、パラメータの無言修正も日常茶飯事。不満への対応もよくない。運営への怒りでゲームから離心した人は十指では足りない。
それでも遊んでいた多くの人の中にも、東京の天下統一を待たずしてINの不定期になった50万円クラスの課金プレイヤーや、「もう辞める!」と息巻いていた人が複数いた。それに他県では自県のやる気なさ、まとまりのなさに嫌気が差し、覇者・戦神クラスほど辞めてゆく実情を漏れ聞いていた。
おれは東京の仲間にはこの憤懣や未達成感を残したままこのゲームから去らせる訳にはゆかなかった。それはマインド・スラッジとして後々までも残る。一緒に遊んでくれた人たちに心のゴミを持ち帰ってもらう訳にはゆかなかった。

マインド・スラッジとなる諸々の残念は、必ずしも現実に果たされなくてよい。自分の中での循環が止み、納まりがつけられれば、パッケージ化された一つの「過去ログ」として問題にはならなくなる。でも最も良いのは諸念はその都度リアルで完全燃焼させることだ。