以下ネタバレ含みますので、未読の方はお気を付けください!





「サナトリウム」

個人的にモームの短篇の中で一番好きな作品です。

結核が不治の病だった時代、サナトリウムという狭い世界で繰り広げられる人間模様。

なにかというと口論している犬猿の仲のお爺さん2人、美人で頭のいい若い女性、遊び人の退役軍人、自分の運命の理不尽さに憤りを感じている平凡な男、みんなが巻き起こすさまざまなトラブルにもうまく対応する医師、そしてそれをひそかにじっくり観察している主人公、アシェンデン。

ちなみにこのアシェンデンはスパイとしての活動を描いた別作品でも主人公として出てきます。


「サナトリウム」は短篇としては長めだという印象があったのですが、今回むしろ同じ本に収録されている作品より短めだと知ってびっくりしました。

いろんな人が入り乱れつつ、ちゃんとなにかが起こってストーリーが進んで、最後はきっちり終わる。

この充実ぶりでこの短さ!

モーム先生の無駄のない書き方が本当に見事です。

キャラクターもみんないい。

正直言うと「美人で頭が良くてしかも心優しい」王道ヒロインミス・ビショップはやや面白味に欠けますが、お相手のテンプルトン少佐の描写は活き活きとしています。

女好きで陽気で楽しいことばかりしてきた男。
自分の危篤に近い病状もたいして気に留めることなく、無頓着。

「彼は死神に向かって指をパチンと鳴らした。彼の軽妙さを無作法と呼んでもいいし、その平静さを伊達男らしいと評してもいい。」

むかしのハリウッドスターならクラーク・ゲーブルみたいな雰囲気でしょうか?
今の人ならジョージ・クルーニーとか?
ちょっとちがうかな?

そんなテンプルトン少佐とは対照的に、自分の病状に絶望してふさぎ込み、健康な頃とは別人のようになってしまったのがチェスターという男。

普通の勤め人で妻と子供がいてという平和な暮らしを病にめちゃくちゃにされ、自分は死んでいくのに、妻が健康であることをねたみ、憤りを妻にぶつける日々。

そんな話を妻から聞いたアシェンデン、あの善良なチェスターががそんな卑しむべき考えを抱くとは、と、そこから一般的な人間性について考察します。

「苦難が人を気高くすると言う人がいる。しかしこれは真実ではない。一般的には、苦難は人をケチに、自己中心に、愚痴っぽくさせる。」

これほんとそうですよね。
おばちゃんになった今ならそれがわかります。

若い頃はまあ健康だしなんだかんだ言って未来もあるわけで、なかなかこういう事がわかりませんでした。

身近な年寄りがあっちが痛いこっちが痛いと言っては愚痴ったり、どうせ私なんていてもしょうがないと拗ねたり、他人の不幸話を楽しそうに話すのを見て、わたしは絶対こんな風にはならない!とか思ったものでした。

今はそんな人を見てももう少し寛容な気持ちになれます。

人間が出来てきたから、というわけではなく、自分も不幸なことがあればそれはそれはケチな人間になってしまうということを身をもって体験したからですが笑。

さて、放蕩者のテンプルトン少佐、今まで遊んできたような女たちとは違う、ミス・ビショップに生まれて初めて真剣に恋をします。

ミス・ビショップも彼を愛するようになり、晴れて2人は相思相愛。

普通ならハッピーエンドな展開ですが、2人は結核患者。

テンプルトン少佐は死期が近く、ミス・ビショップも回復の見込みはあるものの、無理は出来ない体です。

周りも2人の恋愛を野次馬的に、しかし心配しながら見守っています。

そして2人の結論は、死を覚悟で結婚する、でした。

みんなは当然この無茶な決断にビックリしますが、2人の真摯な愛に打たれて、だんだんとお祝いムード。

結婚式ではみんなに祝福され、2人はサナトリウムを後にします。

「車が走り去るとき、愛と死に向かって走り去る時、拍手が起こった。」

この一文はいつ読んでもぐっときます。

愛と死に向かって走り去る、なんて他の凡庸な作品で使われていたら 陳腐な印象しか受けないフレーズだと思います。

それがこの、過剰な表現のない、一見淡々とした作品の中ではダイレクトに胸に響いてきます。

こうしてサナトリウムで誕生したカップルは退場。

しかし物語の締めは別のカップルが担うことになります。

病気を苦にしてふさぎ込むチェスターと彼の変容ぶりに心を痛める妻。

ところがテンプルトン少佐とミス・ビショップの結婚という出来事に影響され、チェスターも病気以前の彼を取り戻します。

そして結婚した2人が去ったあと、チェスターは妻の手を取り、今までのことを詫びるのです。

「死は愛に較べれば、それほど重要なことではない。僕は君に生きて、幸福になってもらいたい。もう君のことを羨んだりしないよ。何事にも腹をたてたりしない。今では、死ぬのが僕で君ではないのを嬉しく思うのだ。この世の素晴らしいことすべてが君のものになるように祈っている。愛しているのだから」

いやーもう何度読んでもここで泣きます。
今もちょっと泣いてます笑。

人間は卑しくもなれるし、気高くもなれる。

モーム先生の作品は人間の卑しい面、おそろしい面を強調することが多い気がしますが、この作品では美しい面にスポットが当たっています。

皮肉屋と言われたモーム先生のナイーブさが感じられるような傑作短篇です。