本屋大賞にランキングした「ペンギン・ハイウェイ」の翌年、33歳の作品。ジャンルは「ナンセンス」。遠景近景ぐにゃぐにゃの錯視の荒唐無稽を楽しむ本。
未診断高学歴発達系男子のような特徴を持つ主人公が、健常者が多数を占める京大のキャンパスライフに適応できず、一人暮らしの四畳半引き籠りを正当化する詭弁を弄するなかに、阿呆神とよばれる遍く四畳半を統べる概念と、水玉ブリーフを奉る同族(同じく高学歴発達系のような特徴を持つ仲間)たちとの邂逅から、自らの生きる道を見つけ出す過程をユーモラスに描く。このように、自分は高学歴非凡系の若者のアイデンティティの確立をテーマとしたブラックコメディと解釈した。
以下に目次を示し、内容を簡略に示す。
「四畳半王国建国史」
主人公は、あまりの自らの社交スキルのなさから世間並みの学生生活を送ろうとすることを諦めて、自分の内面に向かって覇権を広げようと決意する。「かつては、目前に他者が現れるたびに、余は理想にほど遠い振る舞いをする自分に腹を立てていた。『一人でいる時はこんなにステキな俺なのに、なぜ他人が目の前にいるとヘンテコになるのであるか!』」(p18) 「『四畳半を出て、社会と対峙しなければならぬ』などと余を批判する者もあるかもしれない。(中略)しかし余は、そんな正論でくくられるところから、はるか遠くへ来た。この四畳半王国においては、いわゆる正論は通用しない。(中略)精神の貴族は行動しない」(p23)
なんとステキな「働いたら負け」の四畳半引き篭もり学生のロジック!わたしも学生のときにこのような詭弁を弄することができていたらまちがいなく部屋に篭った。京大のお兄さんたちほど賢くない自分はこのような理屈を思いつくことができず、したがって、根源的な動機は痛いほど共通していながら、内面には向かわずに外国へ向かったものであった。
蝸牛の角
頭がよすぎて世間様と常識の合わない非凡な皆さんが四畳半に集まって酒を飲む(最初の章の主人公とは異なる面々がならぶ)。この本を貫く世界観、すなわち、阿呆神の住まう四畳半は偏在する、「街路樹の葉から落ちた一滴の水にも全宇宙が含まれている」(p33)という哲学が説明され、かつ、それにしたがってストーリーが展開される。たとえば、蝸牛の角をよく見ると「蝸牛の角のてっぺんには鴨川が流れており」(p44)などと視点がミクロに吸い込まれた先に別の四畳半世界が広がり、また、なにかの表紙にマクロにまた吸い上げられ、という遠近の焦点が忙しなく移動する。
真夏のブリーフ
こちらは、水玉のブリーフのイメージを中心に、語り手がリレーのように移り変わっていく。誰かが仲間たちのなかの誰かに電話して、それが終わるとその電話の相手が主人公となって自分の話をはじめ、それがまた誰かと出会って区切りがついて、今度はその人が主人公となってそこから続く時間を話す、というように話が繋がっていく。それぞれはおたがい知り合い同士なので、別の人の話のなかで、前に語られた人・これから語られる人がその語り手の視点から説明されることになる。
大日本凡人會
斯くして非凡な皆さんが結集し、「ともすれば人間というものは、非凡な才能の持ち主を異物として集団から排除する」(p127)ため、人に好かれなかった過去を振り返り、「自分の才能を世のため人のために役立てたいと迂闊に願いがちな善人だった」(p128)と反省、「世間に期待するのは諦めようじゃないか」(p129)との決意のもとに「第日本凡人會」が結社される。内容を端折ると、エンドでは、何の役にも立ったことのないスーパーナチュラルな力が結集され、鴨川デルタに雪を降らせることに成功する。
四畳半統括委員会
書簡形式で綴られる章。四畳半統括委員会という名前しかなかった架空の組織に尾鰭や背鰭がつけられて、虚構がまことしやかに人々の生活に影響を与えていく。
グッド・バイ
非凡な皆さんのうちの一人が構ってほしくて知己に京都を去ることになったという嘘を吹聴しに行く話。相手を試す狂言であったのが、誰にも引き止められないので引き返せなくなり、飲み屋でやけ酒を飲むが、そこに現れる友人らはもはや虚構なのか現実なのか。太宰治のオマージュなのか分からない。引き合いに出された太宰治の話はどのような話で、本作品となにか共通点はあるのだろうか。
四畳半王国開国史
と、ぐるりひとまわりして、冒頭の章の主人公の語りに戻る。一人称が「余」というヒトである。彼は四畳半の世界を深く深く旅をして、とうとう阿呆神と出会い、その後継を所望される。そこで、彼はなにも「余は神になろうとしたわけではない」(p270)と気がつく。では何になろうとしたのか、そこから彼は自分の船「四畳半号」に乗って海に出て、「未知の領域、我が国土の最奥、つまり四畳半世界の果てるところ」(p272)まで旅をして答えを探す。辿りついた先で出会うのは、高学歴非凡な皆さんの一人だった。つまり、その四畳半世界で、生きにくさを抱える主人公は同族のなかまたちに遇い、その付き合いに引き篭もりから抜け出す光明を見るのである。
「四畳半神話大系」よりはずっとラフに、四畳半から展開する妄想の世界をこれでもかと自由に書ききっている。説明や設定の接続が一般の読者には少々不親切な場面があるような印象も受けたが、イメージの連鎖でエピソードが繋がっていくこの部分に森見さんのオリジナリティが存分に生かされており、ファンが定着した時期の作品であることも合わせて、出版当時、これはこれでウケたろうなという感想を持った。
レビューを書いたあと、もう一度考えたが、このラストはすなわち、四畳半世界の最奥まで突き抜けた森見登美彦が絶大なるファンの支持を得て作家として成功したことを表しているように思えてきた。本当だね、まず、自分と向き合って強みを磨ききっての、社会と折り合える自分となるのだ。十分に説得力のあるエンドとなっていた。
