森見さん7作目の小説。思いのほか、おもしろく読んでしまった。彼の得意である意匠の利いた作品。今回は書簡小説である。内容は、生きづらさを抱える腐れ男子大学生が能登で半年間研究生活を送りながら知り合いに書いた手紙たちが主人公守田一郎を立体的に立ち上げる。

 

テーマは「太陽の塔」や「四畳半神話体系」と類似した、独り立ちするまでの学生の煩悶で、(「(前略)俺は平凡かつ困難な多くの問題を乗り越えなくてはならない。如何にして卒業するか?如何にして社会に出て食っていくか?如何にして俺が求める人に求め返してもらうか?天地開闢この方、どれたまけの学生がこの問題のため落涙し、四畳半をごろごろ転げまわったであろう」(p170)、高等遊民となることをを望むも、己の器を思い知り「やむを得ぬ!」(p328)と社会に出ることを受け入れるまでの過程を描く。

 

しかし、このように大枠を説明しても、森見登美彦を読んだことのない人間にはこの話の想像がつくまいな。彼の特徴、ファンが愛してやまない彼のよさは「しかし根本的な難点が一つある。書いているうちにへんてこになるのです。なぜだか分かりませんが、清い心で書いているように見えないのです」(p 182)と彼自身もいうとおり、ユーモラスなイメージを跳梁跋扈させる芸風にある。演出がいいんだな。

 

本作は、主人公をいつもの京都から能登の研究所に置き、阿呆なエピソードに東奔西走する様子をおもしろおかしく書くだけでなく、手紙を書くこと、文を書くとはどういうことか、というもうひとつ、作家となっての問題意識が加味されて、作風の味変が楽しめる(「何遍も何遍も恋文を書いては破き、書いては破いているうちに、俺は文章というものが何なのか分からなくなってきました。『文章を書く』という行為には、たくさんの罠がひそんでいる」)

 

作家自身が登場するのも、また別の意匠で、ファンレターに対する思い、筆が進まない悩みなど現実の森見さんの状況が挿入されるところにそのあとの作品の萌芽が見えた。

 

章立ては以下の通りである。

 

第一話 外堀を埋める友へ

第二話 私史上最高厄介なお姉様へ

第三話 見どころのある少年へ

第四話 偏屈作家・森見登美彦先生へ

第五話 女性のおっぱいに目のない友へ

第六話 続・私史上最高厄介なお姉様へ

第七話 恋文反面教師・森見登美彦先生へ

第八話 我が心やさしき妹へ

第九話 伊吹夏子さんへ 失敗書簡集 

第十話 続・見どころのある少年へ

第十一話 大文字山への招待状 

第十二話 伊吹夏子さんへの手紙

 

全体はだいたい3つのパートに分けることができる。前半が、第一話(友人・小松崎)、第二話(研究室の先輩・大塚)、第三話(教え子小3生・まみやくん)、第四話(友人・森見登美彦)まで。基本的な登場人物とセッティングの導入。同輩である小松崎の片思いから成就に向けての出来事が中心的に描かれる。

 

後半は、主人公と小松崎がアダルトビデオを見ていたことを他の登場人物に見られてしまった「おっぱい事件」と大塚女史とのパソコンの争奪戦の経緯が、第五話(小松崎宛)、第六話(大塚女史宛)、第七話(森見登美彦宛)、第八話(妹宛)を通して語られ、同時に「恋文を書くということ」について考察が深められていく。

 

第九話から、物語は収束に向う。まとめのパートである。第九話は、自分の片思いの相手、恋文を書きたいと思っているが書けないでいる後輩の伊吹さんへの失敗書簡である。月に1回くらい書いているが、それまでの月日をみすみす無駄に過ごしてしまったところが見て取れて痛々しくも楽しい。

 

自分も、出さなかった自分自身のラブレターを思い出してしまった。出してしまった手紙は取り返せないから、書いてから時間をおいて慎重に何度も見返し、勢い込んで自分のことばかり聞いて聞いてと話してないか、相手に伝わらない話になってないかと書き直しを重ねるうちに距離ができ、そのうち、相手はいま、何に興味があるのか分からなくなって話題出しも苦しくなり、ひとりよがりの恋心は胸の裡に秘めとくだけで十分と諦めたときがあったのだった。

 

閑話休題。さて、第十話は、主人公守田が、少年まみやくんの初恋の話に託つけて、かつて出さなかった初恋の人への手紙について言及する章である。その初恋の人への手紙の馴れ初めは風船に紐つけて離してやった赤い風船だったことから、第十一話で、京都に帰ることになった主人公は皆に手紙を書き、大文字山で皆で赤い風船を飛ばそうと誘う。ここで彼は、さまざまな人になりかわって、それぞれらしい文体で別々の人に招待状が書くことから、主人公の「恋文の技術」はなんだかんだ言って半年で十分向上したことが分かる仕掛けとなっている。そして、最後の第十二話が意中の人伊吹さんへのラブレターで、主人公はとうとうその技術をマスターしたことが分かる。

 

誰がどれで前後関係はいつで、みたいなのが気になる人はタイムラインをメモにとって整理しながら読んだほうがよいかもしれない。なぜなら、このレビューであらすじをまとめる段になって、「おっぱい事件」と大塚女史とのパソコン合戦のどちらが先なのか分からなくなって読み返した自分がここにいるからだ。ほかにもちっちゃいアレとコレとの前後関係や説明みたいのが、それぞれに宛てた手紙の中で違った立場で書かれるので、それを整理していくともう少し伏線の筋道が分かりやすくなるかもしれない。

 

しかし、そこで読むスピードを失速させて、慌ただしく重ねられる、脳内イメージの連鎖を失うのも惜しい気がする。森見さんの作品は基本的に、四畳半が無限に拓いていく妄想世界なのだから、それにテンポよく呼応していくのが楽しい読み方だと思う。最後の方に向かって話がまとまっていくスピード感は絶妙で、森見さんは本当にたくさんの本を読んで、話を面白くする「雛形」を知っているんだな、と思わされる。ハリウッド映画の王道ストーリーのようにすわりが良い。このつじつまあわせのよさ、天下無敵のご都合主義=ハッピーエンドの高揚も彼のよいところだよな、と思って本を閉じた。