「真善美」 | DAS MANIFEST VOM ROMANTIKER
2005-12-25 05:04:12

「真善美」

テーマ:哲学
或る酒席で「真善美というのは意外に新しい言葉なんじゃないか」という話が出たので早速調べてみたところ、やはりどうやらそういうことらしい。中国古代の書物には出典がないし、『大漢和辞典』にも「真善美」という熟語は収録されていない。しかし、現代中国語の辞書である『中日大辞典』には「真善美」が載っている。ということは、「真善美」は近代になってから形成された熟語である可能性が高い、という推測が成り立つ。

「真善美」と聞いてすぐに思いつくのは、プラトンやカントといった西洋哲学である。例えばカントの『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』という所謂「三批判」※1は真善美という価値にそれぞれ対応して書かれた書物である。もしかすると、日本における西洋哲学の受容過程で「真善美」が訳語として作り出されたのかも知れない。だとすれば、「真善美」は国産の熟語で、中国に逆輸入されたということになる。西洋哲学・思想の日本から中国への輸出は他にも例があるから、そういう可能性がないわけではない。例えば辛亥革命期においてはルソー『社会契約論』がよく読まれたが、ルソーの普及には中江兆民の漢訳『民約論』※2の果した役割が大きい。

 ※1 ここでいう「批判」は通常の意味ではなく、人間の能力を吟味するという意味。

 ※2 高校の教科書などに出てくるのは『民約訳解』だが、これは『民約論』に書き下し文と解説を
    加えて新たに刊行したもの。『民約論』は漢文のみ。


近代日本において「真善美」をテーマとして執筆活動を展開していたのは三宅雪嶺という哲学者である。彼は近代西洋哲学史の概説書を著しているから、少なくとも雪嶺における「真善美」の淵源はカントにあるのかとも思われるが、しかし最晩年に出した雑誌『真善美』の表紙にはギリシャ文字が踊っている。そうするとプラトンも念頭にあったということになろうか。


もう少し調査が必要なようです。



三宅雪嶺『真善美日本人―付・偽悪醜日本人 』(講談社学術文庫)
 数多い雪嶺の著作の中で最も有名なもの。「真」を学術、「善」を政治、「美」を芸術に当てはめて明治日本のとるべき進路を提示する。
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