昭和天皇は「参拝」と言った-昭和天皇論② | DAS MANIFEST VOM ROMANTIKER

昭和天皇は「参拝」と言った-昭和天皇論②

昭和天皇独白録 』を読んでいたら、こんな表現を見つけた。天皇は白川義則陸軍大将(1869-1932)の未亡人に、亡夫の「功績を嘉した歌を詠んで贈つた」らしいのだが、その歌に添えてこう書かれている。

「靖国神社に参拝して白川大将の3月3日午後上海にて停戦命令を発して国際連盟の衝突をさけしめたる功績を思ふ」

何故こんなところに着目したかというと、昨年の小泉首相による靖国神社参拝直前に公表されたいわゆる「富田メモ」と関係するからである。同メモは昭和 天皇のA級戦犯合祀への不快感を示す史料として話題を呼んだが、それが真に天皇の言葉を筆記したものであるのかを疑う声も上がった。そしてその中には「天 照大神の子孫である天皇が『参拝』という表現を用いるはずがない」というものがあったのである(同メモには『だから 私はあれ以来(靖国に)参拝していな い』という箇所がある)。しかしこれを見る限りでは、昭和天皇は「参拝」という表現を用いていたのではないか。

更に付け加えるならば、やはり『独白録』の中で昭和天皇は、天皇機関説を支持していたことを回想し、続けて「又現神〔現人神と同意味。あきつかみ〕の問題であるが、本庄(繁侍従武官長)だつたか、宇 佐見〔興屋〕だつたか、私を神だと云ふから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういふ事を云はれては迷惑だと云つた事がある」とも述 べている(〔〕内原注。()内は引用者)。こうした考えの持主が、例えば「私は神だから参拝という表現を用いるべきでない」等と考えるだろうか。

富田メモの信憑性については他にも論点があるのだろうからこれのみを以て「本物」と言うつもりはないけれど、とりあえず一点だけ指摘しておきます。

昭和天皇独白録/寺崎 英成
「「独白録」は、昭和21年の3月から4月にかけて、松平慶民宮内大臣、松平康昌宗秩寮総裁、木下道雄侍従次長、稲田周一内記部長、寺崎英成御用掛の5人の側近が、張作霖爆死事件から終戦に至るまでの経緯を4日間計5回にわたって昭和天皇から直々に聞き、まとめたもの」(「はじめに」より)。以下は余談だが、本書は文庫なので著者名がひらがなで整理されている(たとえば、ナンシー関なら「な」)。書店に向かって歩きながら、「昭和天皇なら「し」だろうか。まさか「ひ」(裕仁)はないよな」などと考えたが、実際には「て」であった。「天皇」の「て」ではなく「寺崎」の「て」なのだろう。