鳥山石燕、水木しげる、伊福部昭 | DAS MANIFEST VOM ROMANTIKER

鳥山石燕、水木しげる、伊福部昭

水木しげる大先生によると、妖怪の絵というのは鳥山石燕(1712-88、歌麿の師でもあるらしい)の線を外してはならないのだそうだ。そこから離れると 妖怪らしくなくなってしまうのだと言う。これに倣い、伊福部昭を「怪獣音楽界の鳥山石燕」と呼んでみてはどうだろう。怪獣音楽というのは、伊福部っぽくな いと「らしくない」。例えばゴジラは、近代文明への自然による復讐を具現化する存在であるが、こうした意味を持つ怪獣と伊福部の出会いが偶然でなかったこ とは片山杜秀が繰り返し論じている。

しかし今となっては伊福部の方が有名だろうから、石燕の方を「妖怪画界の伊福部昭」とすべきだろうか。伊福部の方がずっと後世の人だからおかしな 気もするが、私は、イタリアの思想家アントニオ・グラムシが「イタリアの丸山眞男」と呼ばれるのを聞いたことがある。石燕と伊福部ほどは離れていないが、やはりこ の場合も1891年生まれのグラムシの方が年長。ちなみに、丸山は1914年生まれで伊福部と同い年である。アカデミシャンの丸山にディレッ タントの伊福部。好対照ではないか。

ところで「ディレッタント」というのは、何か本流と思しきもの或いはアカデミズムへの対抗意識を持つ人、という意味で用いている。伊福部は最晩年こそベートーベンの楽譜を見るようになったが、一貫して本流たる独墺系のクラシック音楽への対抗意識を有していた。

ディレッタントと言うなら、水木もそうかも知れない。曰く、「日本でも妖怪を民俗学なんかで扱いますけど、こうね、屍を解剖してるような感じでね、どうも生き生きとしてないんですよ」と。妖怪と水木、怪獣と伊福部。両者はどこか似ている。水木は伊福部より8つ下の1922年生まれ。反アカデミズムは伊福部と同じだが、伊福部と違ってヨーロッパは好きらしい。

水木 ヨーロッパの美というのは、たとえば絵でもやっぱりすべていいんです、得をした感じがする

伊福部 私の個人的な趣味では、敦煌より西の中央アジアに近いほうに行くと面白いものが多くなってきます。ずっと行き過ぎてヨーロッパまで行っ ちゃうとまた面白くなくなるんですけど、あの辺いいですね。遊牧民を通じてアラブから全部入ってて・・・・・・。あの辺が大変いいんじゃないでしょう か

※ヨーロッパと言っても、少なくとも音楽に限れば、伊福部が好まなかったのは独墺だけかも知れない。若い頃からサティやラヴェルといったフランス音楽、ストラヴィンスキーに代表されるロシア音楽、スペインのファリャなどを好み、晩年にヴァイオリン・ソナタ を書くきっかけとなったのはチェコのヤナーチェクであった。

後藤繁雄『独特老人
引用はすべて本書から。本書でインタビューの対象となった人物のうち、伊福部との関係が気になるのは舞踏家の大野一雄(1906-、今なお現役!)である。彼は函館で生まれ、石井漠と江口隆哉に学んだ(それぞれ1933、36年入門)。両者と伊福部は因縁浅からぬ関係で、伊福部は江口にバレエ「プロメテの火」(1950)、「日本の太鼓」(1951)、石井に「人間釈迦」(1953)の音楽を提供している。このとき既に、大野は独立した活動をしていたのだろうか。両者がすれ違ったのだとしたら残念なことだが・・・・・・。
後記:やはり両者には関係があった。卆寿コンサート のライナー・ノーツに、二人が話しているところを撮影した写真が収められている(1984年6月10日、都立大学で行われた宮操子パーティ会場にて)。