【ロンドン=是枝智】米自動車大手フォード・モーターは28日、
傘下のスウェーデン大手ボルボを中国の中堅自動車メーカー、
吉利汽車(本社・浙江省)に売却する方向で優先交渉権を与えると発表した。

赤字部門の売却によって経営立て直しを急ぐ。フォードはボルボ売却後も、
販売面などで同社と一定の協力関係を続ける方針だ。

欧米メディアによると、フォードとボルボは開発技術や設計を共有しているため、
最終合意に向けた交渉では知的財産権の取り扱いが焦点になるという。

ボルボの2008年の乗用車販売台数は前年比18%減の約37万台で、
09年も苦戦が続いている。吉利汽車は人員削減などでボルボ再建を進めるとみられる。

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政府の行政刷新会議(議長・鳩山由紀夫首相)は22日午前、首相官邸で初会合を開き、
予算の無駄を排除する作業に本格着手した。
当面の焦点は、概算要求の段階で過去最大の95兆円規模まで膨らんだ2010年度予算の絞り込み。
同会議の下に設置した作業チームで無駄を洗い出す「事業仕分け」を行い、
3兆円以上の削減を目指す。
会合の冒頭、首相は「10年度は税収が極めて大幅に落ち込むと懸念されている。
できる限り歳出の削減に切り込んでいかないとならない」と述べた。 
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政府の行政刷新会議(議長・鳩山由紀夫首相)は22日午前、首相官邸で初会合を開き、
予算の無駄を排除する作業に本格着手した。
当面の焦点は、概算要求の段階で過去最大の95兆円規模まで膨らんだ2010年度予算の絞り込み。
同会議の下に設置した作業チームで無駄を洗い出す「事業仕分け」を行い、
3兆円以上の削減を目指す。
会合の冒頭、首相は「10年度は税収が極めて大幅に落ち込むと懸念されている。
できる限り歳出の削減に切り込んでいかないとならない」と述べた。 
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横浜市は19日、定額給付金の申請を約7万1000世帯(9月28日現在)がしておらず、未申請の給付金の合計額が約10億8000万円に上ると発表した。

申請締め切りの11月18日まで1か月を切っており、市は「早急に手続きをしてほしい」と呼び掛けている。

発表によると、未申請の世帯数は、申請書を発送した約167万5000世帯の約4%にあたる。

【ワシントン時事】長島昭久防衛政務官は14日、米国防総省などでフロノイ国防次官(政策担当)、
ジョーンズ大統領補佐官(国家安全保障担当)らと相次いで会談した。
長島氏は海上自衛隊によるインド洋での給油活動について、
新テロ対策特別措置法の来年1月15日の期限切れに伴い、
派遣部隊を一時撤収する方向で調整していることを伝達。これに対し、
米側は「(継続の是非は)日本側が決めることだ」と理解を示した

サルコジ大統領 来月結婚か 仏紙報道 離婚から4カ月


 フランスのサルコジ大統領(52)が、恋人で元スーパーモデルの歌手カーラ・ブルーニさん(39)と2月上旬に結婚すると地元新聞が報じた。実現すれば3度目の結婚となる。セシリアさんと昨年10月に離婚してわずか4カ月後の再婚となり、行動が速い「スピーディー・サルコ」ぶりを私生活でも発揮しそうだ。


 報道によると、結婚式の日程は2月8日か9日に設定されたとみられる。ただ、大統領報道官は今のところこの報道に関するコメントを拒んでいる。大統領は12月31日には複数の閣僚に彼女を紹介したという。大統領は、クリスマス休暇を過ごしたエジプトで、ブルーニさんにピンク色のハート形ダイヤモンドの婚約指輪を贈り、ブルーニさんからはスイス製高級腕時計が贈られたとされる。


 一部報道では、ブルーニさんは1月下旬の大統領のインド公式訪問にも同行する予定。インド政府が、まだ正式な夫人となっていないブルーニさんを歓迎するための外交儀礼をどうするか悩んでいるとも伝えている。

不倫が原因?小林武史とAKKOが離婚


 音楽プロデューサー・小林武史氏(48)と妻で「MY LITTLE LOVER」のボーカル・AKKO(34)が元日に離婚届を提出していたことが3日、分かった。2人は連名で小林氏が社長を務める所属事務所のホームページで発表した。


 音楽を通じて出会った2人。12年連れ添ったが、すれ違いも音楽性の違いだった。話し合いを重ねた結果、現在は「お互いに良い友情を感じて」いることも明かしている。2人の娘の親権はAKKOが持ち、社長・プロデューサーとアーティストという関係は離婚後も継続するという。


 小林氏は女優・松下由樹と結婚寸前だったが、AKKOが“略奪”する形で96年に結婚。仕事、家庭も順調だったが、昨年1月に小林氏が写真誌に歌手・一青窈(31)との不倫現場を撮られ、それ以降不仲説が報じられていた。



稲垣吾郎「ダァ~」 小雪と離婚バトル TBS系「佐々木夫妻の仁義なき戦い」


 TBS系=CBCの日曜劇場「佐々木夫妻の仁義なき戦い」(20日から、日曜午後9時)の制作発表が7日、東京・新宿のイベントスペース「FACE」で開かれ、主演のSMAP稲垣吾郎(34)や小雪(31)、小出恵介(23)、酒井若菜(27)、古田新太(42)が出席した。


 稲垣と小雪が演じる弁護士夫妻の離婚バトルをコメディータッチで描く。稲垣は「ケンカしながら愛を深めていくこの夫妻に愛着を持ってもらえたら」とPR。


 登場人物がプロレスラーや格闘家の名であることなどから、この日の発表はリング上で行われた。大学のレスリング部出身という設定の稲垣からは「肌の触れ合いは初めて。(共演の)山本耕史さんが人生で一番多い。(SMAP)メンバー以上に。山本さんが強い設定なので身を任せてます」とのドッキリ発言も。


 また、プロレスラー佐々木健介(41)&北斗晶(40)の実の“佐々木夫妻”も登場。健介は「(タイトルから)ウチの話かと思った」と言う。


 おしどり夫婦で知られる佐々木夫妻に、稲垣は「円満の秘訣(ひけつ)は?」と質問。健介は「黙って女房の言うことを聞く! 何かあったら謝る!!」とアドバイスした。


 一方の“鬼嫁”北斗は「言い返してきたら倍言い返す。身も心もボロボロになるぐらいに!」と小雪にエールを送り、トレードマークの竹刀を贈るとも話した。小雪は「律子(役名)にはそういう傾向がある。これでスッキリ役に徹することができます」と喜んでいた。

下手な独身男よりリッチなバツイチ男


 ソウルのHホテルでイベント業務を担当している女性中間管理職のキムさん(36)。大学で講義することもあるキムさんはこのほど、「負け犬女」から脱出した。


 歯科医のバツイチ男性パクさん(43)と結婚したのだ。パクさんは5年前に離婚した後、子供二人は前妻に任せ、一人で独身生活を送っていた。


 初婚のキムさんは、離婚歴がある男性と結婚したことについて「今どき離婚は珍しくありません。わたしの理想のタイプなら問題なしです」と言った。


 小学校教諭の女性イさん(37)も初婚だったが、離婚歴のある国策銀行のキム課長(41)と先日結婚した。キム課長は前妻との間に子供がいなかった。


離婚は「キズ」ではない 


 このように、バツイチ男性と結婚する30代後半の女性が急増している。独身の男女が出会い、結婚するという伝統的な結婚観が急速に崩れつつあるのだ。


 結婚情報会社デュオによると、今年同社を通じゴールインした「初婚女性とバツイチ男性」のカップルは約30組に達したとのことだ。昨年を約20%上回っている。


 33歳以上の未婚女性が加入する同社「晩婚クラブ」メンバー約1000人のうち、約300人は「離婚経験者でもOK」と考えていることが調査で分かった。これは今年初めに比べ10%以上の増加だ。


 こうした傾向は、まず離婚に対し否定的な見方が減っているためとみられる。韓国の離婚率(約8%)は世界3位前後だ。


 性格の不一致や経済的に困難という場合、かつてのように離婚せず我慢するよりも、それぞれ新たな人生を求め再スタートを切る人が増えた結果だ。離婚も賢明な選択の一つという考え方が社会全体に広く根付き、30代後半の女性がバツイチ男性を見る目も肯定的になっている。


 これとは逆に、30代の女性が、30代後半で結婚歴のない独身男性を見る目は厳しくなっており、対照的だ。


 デュオのヒョン・ソヨン再婚担当チーム長は「30代後半になるまで結婚したことのない男性に対しては、“仕事ができない”“気難しい”“どこか合わせにくい部分がある”と考える人が多い」と話す。


 「バツイチ男性たちは結婚生活を経験しているので、新たな異性との出会いでさらに気配りをするのが長所」という声もある。

O・ヘンリーと妻アソル


 世界で最も有名なクリスマスツリーが点灯する瞬間を、せっかくだから、この目で間近に見てやろうと思った。


 11月28日、ニューヨーク。早めのつもりで午後5時すぎにホテルを出た。ところが会場のロックフェラーセンターに近づくにつれ人波はふくれあがり、規制線もあってまったく動かなくなってしまった。どうにかツリーを望める場所まで入ることができたのは、ついでに予約してあったセンター屋上の展望台の入場券を見せたからだ。

 25メートルを超えるツリーは、カウントダウンとともに午後9時に点灯した。青、赤、緑……約3万個の発光ダイオードが光を放ち始めた瞬間、どよめきと歓声があがった。

 振り返ると、高級デパート「サックス・フィフス・アベニュー」の壁面には、雪の結晶をかたどったイルミネーションが、薄青白くまたたいていた。

 派手なツリーやイルミネーションばかりがクリスマスでもない。この季節に全米のあちこちで催される、地味ながら恒例の舞台もある。「The Gift of the Magi」。ニューヨークを主な舞台に珠玉の短編小説を生み出したO・ヘンリーの代表作で、「賢者の贈りもの」と訳されている。

 ニューヨークから飛行機で1時間、バージニア州ハンプトンでの公演をのぞいてみた。

 貧しい若夫婦のジムとデラ、そしてキリストの誕生を祝って東方から駆けつけたという3人の賢者。役者はこの5人だけ。しかし3賢者は、あこぎな八百屋に扮し「クリスマスのアップルパイ用に」と腐りかけたリンゴをデラに売りつけたり、物ごいに姿を変えてジムの懐中時計を奪おうとしたり……1人で何役もこなす活躍ぶりだった。

 クライマックスはもちろん、ジムとデラがクリスマスの夜にプレゼントを交換する場面だ。帰宅したジムは、ばっさりと髪を切ったデラを見て驚く。かつら屋に髪の毛を売って、ジムの宝物である懐中時計に似合う鎖を買っていたのだ。ところがジムは懐中時計を売って、デラの長い髪に似合う上等のくしを用意していたのである。

 相手の大切な物のために自分の大切な物を犠牲にしてしまう。贈り物は無駄に終わるが、お互いの深い愛情をこれ以上はない形で確かめ合える。意外な結末で読者をあっと言わせる「O・ヘンリー・サプライズ」の中でも、とっておきの心温まるサプライズ――。

 ヘンリーは39歳から亡くなるまで8年間、ニューヨークに住んだ。1903年からはニューヨーク・ワールド紙と契約、1編100ドルで日曜版に書き続け、2000語前後の短編が続々と生まれていく。「賢者の贈りもの」は05年12月10日に掲載された。

 けなげな若妻デラのモデルはO・ヘンリーの妻アソル・エステスらしい。ふたりが暮らしたテキサス州オースティンへ向かった。


妻の面影を珠玉の短編に
 オースティンは人口68万人の州都。市街地の北にそびえるドームが目印の州政府の建物が「ホワイトハウスより立派」というのが、地元の自慢だ。

 市内にO・ヘンリー博物館がある。まだ本名のウィリアム・シドニー・ポーターだったころ、妻のアソルと暮らした小さな家が、場所を少し移され、市の公園の一角に保存されている。

 館長のバレリー・ベネットさん(55)によると、ふたりのなれそめには、州政府の建物の建て替えがかかわっているという。建物の裏側、北東の角に「March2 1885」と浮き彫りにされた礎石があるが、その中の「メモリアル・ボックス」に、当時高校生だったアソルの髪の毛が入っているというのだ。セレモニーに参加したアソルが自分で切って入れるのを、O・ヘンリーが見ていて強くひかれたという。


 「賢者の贈りもの」の中で、髪を切ってしまったデラが、帰宅したジムの足音を聞いて「どうぞ神さま、私が今でもやっぱりきれいだとジムに思わせてくださいまし……」とつぶやく場面がある。アソルにも日ごろ、短いお祈りを唱える習慣があったと伝えられ、デラのモデルがアソルだと言われる根拠の一つにもなっている。ベネットさんはさらに、地元ならではの隠れたエピソードを披露してくれた。

 結婚から6年後の1893年、シカゴで万国博覧会があった。気分が変わればアソルの病気も少しはよくなるのではと考えたヘンリーは、ためた金を渡し友人と出かけてくるよう促した。ところがアソルは、忙しいヘンリーが一緒に行けないならと出かけることをあきらめ、お金はふたりのために使おうと、代わりに家具を買った。

 「それがこのいす2脚と客間の壁にかかっている絵です。ジムとデラの話によく似ています」。ベネットさんは実物を示しながら説明してくれた。

 「彼は彼女を心から愛していたと思うし、亡くなってからも、一緒に暮らしていたころの彼女のことをいつも思い起こしていたはず。彼女との物語を書きたかったのだと思います」


 ヘンリーは実際に見聞きした題材を小説にしてきた。たとえば「善女のパン」などと訳される一編――パン屋の40歳独身の女店主が、決まって売れ残りの安く硬いパンを買いにくる中年男性を気にかける。ある日ひそかにバターを塗り込んで持たせてあげる。ところが男は製図工で、鉛筆の下書きを消すため、消しゴムより使い勝手のいい古いパンを買いに来ていたのだ。バターで図面を台無しにされた男が怒鳴り込んでくるという悲しい幕切れだが、女店主の優しさと味わい深い哀愁が漂う。これなどはオースティンの土地管理事務所の製図工だったヘンリーの体験が下敷きになっており、近所には、古いパン屋が今も姿をとどめている。

 ヘンリーは、ニューヨークでは欧州風の閑静な住宅街・グラマシー地区に住んだ。行きつけだった店が、1864年創業の「ピーツ・タバーン」。看板に「O・ヘンリーが有名にした店」とある。土曜の夜に訪ねると、伝統的な英国パブのような店内は、満員電車の立食パーティーさながらだった。

 入り口わきのボックスには「O・ヘンリーはここで『賢者の贈りもの』を書いた」という妙に具体的な表示さえある。マネジャーのゲーリー・イーガンさん(40)に確かめると、「写真があるわけでもないし、証明するものなどない」とあっさり言う。だが彼のアパートは目と鼻の先だったし、当時あたりに店はここしかなかったらしい。「酒だけじゃない。食事するにもコーヒーを飲むにもここしかなかったんだから、ここで書いたに違いないんだ」


 ヘンリーはアソルの死から10年後の1907年、同郷ノースカロライナの幼なじみ、サラ・コールマンと再婚する。その頃には酒浸りがたたって肝臓をやられていた。翌年に別居、10年6月、肝硬変と心臓病で死去した。

 墓はノースカロライナ州アッシュビルにある。墓石の上には祝福のためのコインがたくさん散らばっていた。ここは再婚した妻サラの地元。彼女の墓石がヘンリーに寄り添うように置かれているのに対し、娘のマーガレットの墓石は離れて、「1927」と没年だけが刻まれている。先妻の子だから、だろう。そのアソルは、オースティンの墓地に両親とともに眠っている。

 ヘンリーが勤めたテキサスの土地管理事務所の建物は州政府ビジターセンターになっていた。1階のO・ヘンリー・コーナーにある受話器をとると、ヘンリーが47年の生涯を語るという設定で音声が流れてくる。おどけたような調子の声で、結びはこうだった。

 「皆さんは私の人生がまるで私の作品のように短い、と言うことだろう」