前作では、日本を礼賛している外国人の話をした。(★第343話:日本礼賛について)
そこでは紹介していなかったが、世界で最も語彙数が多い言葉の一つと言われている日本語が、心の機微を表現できて素晴らしいという外国人もいる。特に、四季の違いを表現する語彙が豊富。こんな情緒のある国は世界中どこを探してもないと言ってくれる。方言は多いものの、日本全国で通じるというメリットを感じている外国人もある。
こんな難しい日本語が好きで、日本人以上に美しい大和言葉で流暢にしゃべる人には、教養の高さを強く感じる。心から敬意を表したい。
●語彙力こそが教養である
明治大学文学部教授・齋藤孝(62歳、写真左)の著「語彙力こそが教養である」(2015年初版、角川新書、写真右)に共感する。
歳をとったせいか、日本語の乱れを憂いている。くだんの齋藤氏は「言葉は身の丈」ということわざを使い「話す言葉はその人の人格や品位までも表わす」と断言している。
そして、「知性と語彙のレベルは1分でバレる」と、思わずドキッとするようなことを言っている。その判断基準は至ってシンプルで、「複数のことがらをひとつの言葉で表現しようとするか否か」だという。語彙が少ない、教養が乏しいと感じる人は、とにかく言葉の選び方が「省エネ」なのです」としている。
今やテレビの人気者、出川哲朗(58歳、写真)を悪者にするつもりはないが、土曜日・テレビ東京のゴールデンで「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」(写真)という冠番組まで持つようになった彼の口癖「ヤバいよヤバいよ」とか、「リアルに」とか、「マジで」などがその例だ。
しかし、著者は語彙の貧困化が深刻なのは若者だけではないと言っている。上司に出すレポートの末尾が「頑張ります」「精進します」だらけの部下。紋切り型のメールしか送ってこない取引先。「なるほど」「たしかに」ばかりの相づち。SNSに料理の写真をアップしても「おいしい」「感動」としか書けない人。どんな言葉でも「とても~」で強調する人。挙句の果てには「言葉にならない」で逃げる人…。自分の胸に手を当てた人も多いだろう。
確かに、少ない語彙で表現することは便利だが、筆者は「その便利さと引き換えに、本当の自分よりも低いレベルに見積もられてしまうという大きな代償を支払っている」と述べている。
というのも、『人は無意識のうちに語彙を通じて「相手のレベルや知性」を判断しているから』だという。語彙力が高いと言葉の引き出しが増える。
さすがに「リアル」は聞いたことがないが、同じ老境の身で「まじ~」とか、「うざい」とか言っているのを聞くと、ちょっと引いてしまう。筆者は、本を読むこと、そしてそれを素読することが語彙力強化のカギだとしている。
ところが、最近は視力が落ち、目が疲れるので読書量が極端に減ってきた。また、記憶力が衰え、覚える端から言葉を忘れる次第。これでは「まじに」「やばいよ、やばいよ」である。あっ、禁句を言ってしまった。
●大和言葉、漢語、外来語
表の通り、日本語の単語には、太古の昔に日本で生まれた大和言葉、古代、中世に中国から伝わった漢語と、室町時代以降に外国から伝わった外来語がある。
例えば、「いろ」は大和言葉、「色彩」は漢語、「カラー」は外来語である。私たちは、この三つの言葉を使って、会話をしたり、文章を書いたりしている。
●外来語の多用
明治時代から「脱亜入欧」というか、西洋かぶれ、西洋コンプレックスが続いたせいか、必要のないまでの外来語の使用が多くなった。外来語を使うと、「煙に撒ける」のが最大の効果である。何だか偉い人に見えるから不思議だ。自分もその「煙に撒く」効能を知っているので、時々使っている。一番意識しているのは「リテラシー」(読解記述力)という言葉である。本当は、なるべく日本語を使うべきだと思っている。
「カタカナ英語」と、外来語とは似て非なる「和製英語」なる新しい言語もある。
■カタカナ英語
カタカナ英語とは、例えば、「TH」の発音は日本語にはないため、「bath(お風呂)」と「bus(バス)」が同じ表記になる。 なお、radioについて、ラジオは外来語であり、発音に忠実なレイディオは外国語である。
■和製英語
一方、和製英語とは、日本語の中で使われる和製外来語の一つで、日本で日本人により作られた、英語に似ている言葉。英語圏では別表現をするために理解されなかったり、もしくは、全く別物に解釈されたりする場合がある。
我々がいつも目にしている片かな文字は、ほとんどそうだといわれるほど、今や和製英語は日本語の中に根づいている。ベビーベッド、ベビーカー、マイカー、マイホーム、マイバッグ、マイナンバー、ベッドタウン、ガソリンスタンド、スキンシップ、パワースポットなど、みんなそうだ。(和製英語 - Wikipedia参照)
先日のNHKテレビ番組の「COOLジャパン」では「エンディングノート」(写真)のことが語られていたが、これも和製英語だと知って、司会者が絶句していた。
●大和言葉を話そう
「日本の大和言葉を美しく話す」ーこころが通じる和の表現ー(高橋こうじ著、2014年、東邦出版、写真)を読んで、ますます日本語についての関心が高まったことがある。
「人と人とのコミュニケーションのために、文字ができる前につくられたのが大和言葉の始まりだから、音が耳から直接心に響く。日本人の原風景的言葉ともいえ、深みとか温かみを感じる人が多いのはそのせいでしょう。造語能力にすぐれた漢語やカタカナの外来語があまり幅をきかせる時代になると、懐かしくなるのではないでしょうか」と、著者の高橋さん。
本書の「はじめに」には次のことが書かれている。
「兎追いし彼の山、小鮒釣りし彼の川 夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと」
唱歌「ふるさと」は、日本人の心に染みます。その理由の一つは、歌詞のすべてが大和言葉であることです。大和言葉とは、太古の昔に私たちの先祖が創りだした日本固有の言葉。また、その伝統の上に生れた言葉です。大和言葉が日本人の心に染みるのは、日本の風土の中で生まれた言葉だからです。例えば漢語の「故郷」を考えても、私たちはその単語を一つのユニットとして認知し、意味を理解するのに対し、大和言葉の「ふるさと」は「ふ」「る」「さ」「と」の一音一音が心に響きます。
冒頭に挙げた歌詞の最後を「こきょう」にしてみると、その違いがよく分かりますね。
大和言葉には、このように「心に染みる」特性があります。
ところが最近は、造語能力に富む漢語や一見おしゃれな外来語に押されて、長く愛され、用いられてきた美しい大和言葉があまり使われない、という現象がうまれています。
これは本当にもったいない話。大和言葉をもっと知ってもらい、日ごろの会話やスピーチ、手紙やメールなどに生かしてもらおう、ということで生れたのが本書です」とある。
●美しいと思う大和言葉
朝日新聞土曜版beランキング(2015/12/5)にこんな記事が載っていた。題して「美しいと思う大和言葉」。1位は「思いをはせる」だった。
明確で論理的に見える漢語に比べて、大和言葉は感情をふんわりとつつみながら、聞き手の想像力に働きかける、豊かな語感を持つ言葉が多い。相手への心遣いに満ちた奥ゆかしさが特徴である。
そして、大和言葉は、その響きが魅力の一つで、その音の特徴は、比較的平板で、すべての音韻の母音が、いわば「平等に響く」ことにある。外国の人に聞くと「トヨタ」「はやぶさ」「かわいい」といった言葉を聞いたり発音したりするのはとても楽しい、まるで歌を歌っているようだ、というそうだ。それは一音ごとに「A」「I」「U」「E」「O」という母音がよく響いているからだという。
●大和言葉の歌詞がある歌
思いつくまま、大和言葉が歌詞の中にある歌を集めてみた。もっと探せば幾つも見つかるはずだ。
■こよなく
「こよなく」は、今風で言うと「チョー」に代わる言葉。「懐かしむ」「愛する」という語の前にその度合いを強調する言葉を付けたいときは、「このうえなく」よりも「こよなく」が似合う。
藤山一郎/長崎の鐘【こよなく晴れた】(1949年)
■朝な夕なに
「朝な夕なに」(Immer wenn der Tag beginnt、邦訳:「一日が始まるたびに」、写真)は、1957年の西ドイツの青春映画。(写真)
監督はヴォルフガング・リーベンアイナー、出演はルート・ロイヴェリクとハンス・ゼーンカーなど。ギムナジウムの教師と生徒との交流を描いている。劇中で使われた「真夜中のブルース」(Mitternachtsblues)はベルト・ケンプフェルト楽団の曲として知られていて、日本で大ヒットした。他に日本語の歌詞を付け、雪村いづみが歌ったバージョンも存在する。
「朝な夕な」とは、流れる時間の中で寸暇を惜しんで精一杯努力しているイメージを聞き手に伝える。
スクリーン・サウンド・アート・オーケストラ/映画「朝な夕なに」より「真夜中のブルース」(1957年)
■すこやか
「すこやか(健やか)」とは、からだが丈夫で元気なさま。心身が健全であるさま。
梓みちよ/こんにちは赤ちゃん【すこやかに美しく育ってと祈る】(1963年)
■そぞろ歩き
「そぞろ歩き」とは、(スル)当てもなく、気の向くままにぶらぶら歩き回ること。
竹越ひろ子/東京流れもの【そぞろ歩きはナンパでも】(1965年)
■こもれび
「こもれび」は、漢字が入ると「木漏れ日(陽)」もしくは「木洩れ日(陽)」と書く。森林などの木立ちから太陽の日差しが漏れる光景のことを言う。(写真)
森田童子/僕たちの失敗【春のこもれ陽の中で】(1976年)
■暮れなずむ
「暮れなずむ」とは、日没、日が暮れかけてから暗くなるまでの間の時間を指す。(写真)
海援隊/贈る言葉【暮れなずむ町の 光と影の中】(1979年)
■たそがれ
「夕刻」を表す大和言葉の代表は「たそがれ」である。語源は「あの人は誰?」と云う意味の「誰そ彼は」。つまり、薄暗くて、向こうから来る人が誰だか分からない、という心象を昔の人はそのまま時を表す単語にしたもの。
大橋純子/たそがれマイ・ラブ(1978年)
■しぐれ(時雨)
「しぐれ(時雨)」とは、 秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱらと通り雨のように降る雨。涙ぐむこと。涙を落とすこと。また、その涙を指すこともある。類語としては、俄か雨、 通り雨、 夕立、 驟雨、 村雨、 スコールなど。
都はるみ/大阪しぐれ(1980年)
■遣らずの雨
「遣らずの雨」とは、訪れてきた人が帰るのを引き止めるような雨のことを指す。
川中美幸/遣らずの雨(1983年)
■ときめく
「ときめく」とは、喜びや期待などで胸がどきどきする。心が躍る。喜びや期待などで胸がどきどきする。心が躍ることを指す。
加山雄三とザ・ヤンチャーズ/座・ロンリーハーツ親父バンド【ときめく胸 恋の歌】(2010年)
いろんな歌で大和言葉が使われているんだね。