★第244話:ピチカート奏法の曲 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

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 前作、★第243話:ルロイ・アンダーソンの冗談音楽⁉ 繋がりで、ピチカート奏法の曲の特集を。なお、引き続き、「楽器ではない音のある曲」「珍しい楽器を使った曲」「運動会でよく使われる曲」の特集を企画している。

 

ピチカート奏法とは 
 
ピチカート(pizzicato)奏法とは、ヴァイオリン属などの、本来は弓でひく弦楽器(擦弦楽器)の弦を指ではじくことによって音を出す演奏技法である。(写真左)

 歴史的に初めてピチカートを使ったのはバロック時代のオペラ作曲家、モンテヴェルディ(1643年、76歳で没、画像右)だと言われている。彼は、トレモロ奏法も開発した。
 

 

 まずは、ルロイ・アンダーソンの曲を。

ルロイ・アンダーソンの曲

フィドル・ファドル(1947年)

 「フィドル・ファドル」(Fiddle-Faddle)のフィドルは、ヴァイオリンの一種で、ファドルは「ふざける、だらだらする」という意味。曲は目まぐるしく動き回るメロディと、アンダーソン特有のピチカートで一気に駆け抜ける。
 
アーサー・フィードラーはこの曲を自身のポップ・コンサートのプログラムに頻繁に用いていたために「フィードラー・ファドル」と揶揄する人もいたとか。

プリンク・プランク・プランク(1951年) 

 「プリンク・プレンク・プランク」(Plink, Plank, Plunk!)は終始ピチカート演奏の曲なので、弦楽器の弓を持たずに演奏される。「plink」と「plunk」には、「ポロンと鳴らす」という意味があるが、「plank」には「厚板」という意味がある。楽器をこすって「キュッ」という音を出すので、この音の出し方と語呂の良さで選ばれたのかも知れないという。曲の途中で弦楽器の裏板を手でこすって、「シュッ」という音を出したり、コントラバスをクルッと回転させるパフォーマンスがある。

 

ポルカ

 ピチカートといえば、ヨハン・シュトラウス2世と彼の弟・ヨーゼフ・シュトラウスの合作「ピチカート・ポルカ」を真っ先に思い浮かぶ。なお、ヨハン・シュトラウス2世は、その23年後の1892年に新ピチカートポルカを作曲した。

 シュトラウス家は、「シュトラウス王朝」と呼ばれることもある19世紀を中心にオーストリアで活躍した音楽家の家系。。毎年元日にウィーン楽友協会の大ホールで開催されるウィーンフィル・ニューイヤーコンサートは、このシュトラウス家の楽曲を中心にプログラムが組まれる。
 その家系に少し触れてみよう。(図)

 家祖
ヨハン・ミヒャエルの息子の一人であるフランツ・シュトラウスの長男として「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス1世(1849年、45歳で没)は誕生した。ヨハン1世が幼い頃に、父フランツが営む居酒屋「良き羊飼い」が経営不振に陥って倒産してしまう。フランツの妻バーバラは過労がたたって1811年に病死し、フランツはその後を追うように1816年にドナウ川で投身自殺した。親戚に引き取られたヨハン1世はすぐに丁稚奉公をするようになったが、やがて奉公先を飛び出してミヒャエル・パーマーの楽団に入団した。これが、音楽一家シュトラウス家の始まりとなった。

 ヨハン1世の息子でワルツ王と呼ばれたヨハン・シュトラウス2世(1899年、73歳で没)、ヨーゼフ・シュトラウス(1870年、42歳で没)、エドゥアルト・シュトラウス1世(1906年、81歳で没)の三兄弟もそれぞれ売れっ子の音楽家となった。兄弟が音楽家として成功したのは、母親マリア・アンナ・シュトレイムの手腕によるところが大きい。このように兄弟がそろって音楽家として活躍したことから、音楽一家としてシュトラウス家はヨーロッパ中で有名になった。特にヨハン2世は、当時の世論調査によるとオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世よりも人気があった。
 エドゥアルトの長男
ヨハン・シュトラウス3世も音楽家として活動したが、一家の前世代ほどの人気は獲得できなかった。また、エドゥアルトの次男ヨーゼフの末子エドゥアルト・シュトラウス2世はウィンナ・ワルツの指揮者として活躍した。それぞれ知名度に大きな差があり、またヨハン3世とエドゥアルト2世の間に10年ほどの中断期間があるものの、一族の活動期間としてはヨハン1世が活動を開始した1823年からエドゥアルト2世の死去した1969年まで、およそ150年にわたる。
(Wikipedia参照)
ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス/ピチカート・ポルカ(1869年発表)

 

ボレロ

ラヴェル/ボレロ(1928年発表)(演奏:アンドレ・リュウ)

ユーゴ・ウィンタ・ハルター楽団/映画「裸足の伯爵夫人」より「裸足のボレロ」(1954年)

 

バレエ音楽

シルビアよりピチカート

 クレマン・フィリベール・レオ・ドリーブ(1891年、54歳で没、画像)は、バレエ音楽や歌劇で知られるフランス・ロマン派の作曲家。「フランス・バレエ音楽の父」と呼ばれる。迫力や壮大などといった言葉とは無縁の、優美で繊細な舞台音楽を残した。

 「シルビア」はバレエ音楽で、第3幕にこの曲が流れる。軽快でスピーディーなピチカートの響きと、ゆったりとしたフルートの音色が対照的で可愛らしい曲である。

ドリーブ/「シルヴィア」より「ピチカート」(1876年発表)

くるみ割り人形より葦笛の踊り

チャイコフスキー/「くるみ割り人形」より「葦笛の踊り」(1892年発表)

 

エンヤの曲
 「癒し系音楽の女王」エンヤ(現在60歳、写真左)は1961年、アイルランドの北部、ドニゴール州のグウィドー(右地図)に生まれ、父がバンド、母が音楽教師をしていた影響もあり、音に囲まれた環境で育ち、ピアノを身につけた。その後大学でクラシック音楽を学びこれが音楽的基礎となっているそうである。
 
 大学在学中(18歳)、姉、兄らが1970年代に結成した「クラナド」に2年ほどの間、ツアー、アルバム製作共に参加したのが彼女の音楽活動のスタートとなった。そのクラナドから脱退した彼女は、プロデューサーであるニッキー・ライアンと、彼の妻ローマ・ライアンと共に音楽作りを始め今日に至っている。エンヤとは、もちろん彼女の名前だが、彼らとの共同プロジェクト名でもある。  
エンヤ/オリノコ・フロウ(1988年)

エンヤ/ワイルド・チャイルド(2000年)

 

クラシカル・クロスオーヴァ―
サラ・ブライトマン&アンドレア・ボチェッリ/タイム・トゥ・セイ・グッバイ