★第174話:シベリア鉄道 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

さらばシベリア鉄道

 まずは、この曲を聴いてみよう。「木綿のハンカチーフ」と並んで太田裕美(66歳)の代表曲の一つ、「さらばシベリア鉄道」(1980年)である。(YouTubeを開いて下さい)

 2019年9月18日、太田裕美自身のブログを更新し、乳がんで治療を受けていることを公表した。7月のコンサート後に手術し、8月から抗がん剤治療を行っている。その後お元気だろうか。

 (太田裕美、乳がん闘病を公表 7月に手術、8月から抗がん剤治療 45周年イベント控え休養とらず)

歌詞は次の通り。

音符哀しみの裏側に何があるの 涙さえも氷りつく白い氷原 誰でも心は冬を かくしてると言うけど あなた以上冷ややかな人はいない 君の手紙読み終えて切手を見た スタンプにはロシア語の小さな文字 独りで決めた別れを 責める言葉捜して 不意に北の空を追う 伝えておくれよ 十二月の旅人よ いつ…いつまでも待っていると この線路の向こうに何があるの? 雪に迷うトナカイの哀しい瞳 答えを出さない人に ついてゆくの疲れて 行き先さえ無い明日に飛び乗ったの ぼくは照れて 愛という言葉が言えず 君は近視まなざしを読み取れない 疑うことを覚えて 人は生きてゆくなら 不意に愛の意味を知る 伝えておくれ 十二月の旅人よ いつ・・・いつまでも待っていると 伝えておくれ 十二月の旅人よ いつ…いつまでも待っていると音符


 この曲は、元々は大瀧詠一(2013年、65歳で没、写真左)がジョニー・レイトン「霧の中のジョニー」(写真左から2番目)に刺激され、アルバム「A LONG VACATION」(写真右から2番目)のために作った曲である。大瀧はいったんレコーディングを始めたが、慣れない女言葉で歌うのを気持ち悪がり、担当ディレクターが同じ白川隆三だった事もあり太田裕美への提供を思い立ったという。

 なお、作詞の松本隆(71歳、写真右)は一度もシベリア鉄道を見ていないそうで、ちなみに上述の「A LONG VACATION」で「カナリア諸島にて」の作詞も手掛けているが、ここにも行ったことはないようだ。

ジョニー・レイトン/霧の中のジョニー(Johnny Remember Me)(1962年)

 確かによく似ている。

 

 ところで、太田裕美の魅力はなんといっても声。中でも透き通った高音はだれにも真似できない。この曲でも「音符伝えておくれ十二月の旅人よ音符」と歌い上げるサビの部分は、彼女のあらゆる曲のなかでも声とのマッチ具合が最高で、あそこを聴いているだけで、シベリアの凍った大地と、そこに佇む女性のイメージが浮かんでくるようだ。

 シングルの後に発売されたアルバム「十二月の恋人」(写真)の中にこの「さらばシベリア鉄道」が含まれている。



大陸横断鉄道

大陸横断鉄道というと、アメリカのイメージがある。確かに世界で最初に開通したのはアメリカ(地図)で1869年だが、カナダ・パシフィック鉄道(1885年)、シベリア鉄道(1905年)、オーストラリア(1917年)と、世界各地に大陸横断鉄道がある。

オーストラリアでは、2004年、アリススプリングスからダーウィンまでの路線開通によりオーストラリア縦断鉄道が完成し、21世紀に人類史上で初めて大陸間を南北に繋ぐ鉄道が出現した。ダーウィンからアデレードまでオーストラリア大陸を南北に縦貫し、同区間で長距離旅客列車のザ・ガン(写真)が運行されている。

アフリカでは、2019年7月30日、中国の支援によりアフリカ大陸を横断する鉄道が開通した。鉄道はタンザニアのダルエスサラームと、アンゴラのロビトを結び、総距離は約4,000km。東側のインド洋に面するタンザニアを出発した旅客列車が同日、西側の大西洋沿いのアンゴラに到着。鉄道が大陸を横断するのは初めてという。鉄道の開通により、ヒトとモノの移動が活発になりそうだ。

 なお、鉄道網が縦横無尽に発達しているヨーロッパ大陸を横断する鉄道は通常はこれには含まれない。残るは南アメリカの大陸横断鉄道のみである。

 

シベリア鉄道

 シベリア鉄道は、ロシア連邦西部に位置する首都モスクワから、ロシア連邦東部のウラジオストクまでを繋ぐ世界一長い鉄道である。正確にはロシア連邦中南部に位置するチェリャビンスク州のチェリャビンスクからシベリア南東部の沿海州にある日本海岸のウラジオストクまでの7,416kmの区間を指すが、一般的にはその他の路線も含めたモスクワ - ウラジオストク間9,289kmを指す事が多い。

 これとは別に、第二シベリア鉄道(バイカル・アムール鉄道、バム鉄道)もある。バム鉄道の西の始点はシベリア鉄道との分岐点イルクーツク州タイシェトであり、東は日本海に面したワニノを通りソヴィエツカヤ・ガヴァニの港へ至る。なお、シベリア鉄道はバイカル湖の南を通るが、バム鉄道は北を通る。 


 
「ロシア号」(上写真)はモスクワのヤロスラフスキー駅(下写真左)を出発し、ウラジオストク駅(下写真右)まで約7日間をかけて走破する。
 


 

ドクトル・ジバゴ
 「ドクトル・ジバゴ」(Doctor Zhivago)は、ソ連の作家ボリス・パステルナーク(1960年、70歳で没、写真)の小説。1957年出版。ロシア革命の混乱に翻弄される、主人公で医師のユーリー・ジバゴと恋人ララの運命を描いた大河小説。「戦争と革命の最中でも、人間は愛を失わない」内容でノーベル文学賞を授与された。 


  小説は1965年に映画化され、
イギリスのデヴィッド・リーン監督、出演はオマー・シャリフ(2015年、83歳で没、左写真左)とジュリー・クリスティ(80歳、左写真右)など。 モーリス・ジャールによる挿入曲「ララのテーマ」が有名。米アカデミー賞で5部門を受賞した。 

 ロシア革命の動乱中、真摯な医師であり詩人でもあるジバゴ(オマー・シャリフ)は清楚な妻トーニャ(ジェラルディン・チャップリン、76歳、右写真)との慎ましい家庭を持ちながら、奔放な人妻ラーラ(ジュリー・クリスティー)に惹かれ、二人の女性との愛に苦闘する。


 映画ではシベリア鉄道の駅と列車が何度も登場し、ストーリーと映像をドラマチックに繋ぐ重要な役割を果たしている。

 パリから列車で戻ったトーニャをジバゴとトーニャの両親が迎えたモスクワの駅

 混乱するモスクワの駅を避けて、悲惨で過酷な列車の旅の末、ジバゴの一家がやっと到着したベリキノ駅

 パルチザンを脱走したジバゴ息絶え絶えにたどり着いたベリキノに近いユリアティン駅。この駅から幼い娘を連れ、ジバゴの子を宿していたラーラが政府軍の追跡を逃れて列車で極東に旅立った。

 映画の中の駅はいずれもロシアの駅だが、冷戦下にあった当時のソ連の撮影は難しく、スペイン、フィンランド、カナダがロケ地となっている。特に列車のシーンはヘルシンキの北方にあるヨエンスーという町の鉄道が使われている。

(臼井幸彦著『シネマの名称と旅する「駅」』(交通新聞社新書、2009年)参照)  


モーリス・ジャール/映画「ドクトル・ジバゴ」主題曲「ララのテーマ」(1965年)