★第173話:加山雄三活動再開 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

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加山雄三活動再開

 3/26(金)の新聞に「加山雄三さんが活動再開」という記事が載っていた。昨年、軽度の小脳出血を起こし、療養していた歌手で俳優の加山雄三さん(83)が25日、芸能活動を再開した。同日放送のテレビの情報番組に出演。84歳の誕生日に当たる4月11日には、1960年代に収録し、未発表だった新曲「紅いバラの花」を配信リリースするという。


 
「加山さんは昨年8月、自宅で水を飲んだ際の誤嚥による嘔吐で救急搬送された。その後の検査で軽度の小脳出血を起こしていたことが分かり、活動を休止して療養していた。コロナ禍と2020年8月に誤嚥による咳き込みから発症した自身の小脳内出血により、日々の活動が余儀なくされた加山雄三ですが、リハビリとトレーニングの中、自宅の倉庫を整理したところ60年代に収録した未発表デモ音源が見つかりました。その音源の中から「紅いバラの花」は歌詞もストレートな湘南サウンドの象徴といえる「夜空の星」や「蒼い星くず」を彷彿とさせる、もっとも加山作品の印象が色濃い内容となっています。
 歌詞の一節に
「時が巡り君とまた会える日が来た」とありますが、まさに、この時を待っていたと言わんがばかりに芸能生活60周年としてもっとも相応しい楽曲に仕上がっています。
 本作品は昨年退院後、加山本人がディレクションをし、バンドアレンジと当時のボーカルを生かしながら、現在の加山がボーカルを収録し、Aメロには当時の加山が、Bメロは今の加山が、戻ったAメロは当時の加山に今の加山がハモをつけ新旧コラボレーションが実現し、新曲として生まれ変わりました」 

とある。

 25日に出演したフジテレビ系情報番組「とくダネ!」によると、現状の回復ぶりは「70%ぐらい」だというが、レコーディングした新曲「紅いバラの花」はリハビリ生活を送る中で自宅の倉庫から見つかった、50年前の未発表曲。作詞作曲も加山が手がけている。「これ聴いて、50年前の俺が今の俺に『歌え』って言ってるんだって思えるんですよね。ホント不思議です」と後押しされたことを打ち明けた。やや話しにくそうではあるものの、ここまで回復したのは夢があったからだという。「いつでもどんな時でも、苦しければ苦しいほどちゃんと夢を持つということがいかに大切か。自分で倒れてみたときに、治って少しでもお役に立てるようになればという夢を持ってた。それが今、現実のものになって少しでもしゃべれるようになって。人の前で歌を歌ったら歌える。歌えるんですよ!やる気さえあれば歌えるんだなと。やっぱり夢は持ち続けるべきだと思いましたね」と力を込めた。

 

久しぶりのスナック

 26日(金)は半年ぶりに行きつけの店だった八王子のスナックに行った。暫く休んでいたが、緊急事態宣言の解除を機に、火曜日から営業再開したそうだ。

 多分、自分が歌う歌で一番多いのが加山雄三の曲である。「君といつまでも」、「旅人よ」、「海その愛」、「ぼくの妹に」と、最近はもっぱら「座・ロンリーハーツ親父バンド」を歌っている。声質が似ているそうだ。当日は、そのうちの次の3曲を歌った。

加山雄三/君といつまでも(1965年)

加山雄三/旅人よ(1965年)

加山雄三/僕の妹に(1976年)

 

加山雄三はアンチエイジングの星 

 以前のインタビューで「老化を感じたことが無い」という言葉を聞いたことがある。ホテルの倒産から始まり、事業などの失敗は多いが、それにめげている雰囲気はかけらもない。

 自分は、男性では加山雄三(83歳、写真左)、女性では岸惠子(88歳、写真右)をアンチエイジングの星だと思っている。奇しくも二人とも神奈川県出身である。


 それが、加山雄三入院と聞いて驚いた。
現状の回復ぶりは「70%ぐらい」で、やや話しにくいというが、素直に復帰を喜びたい。


人生の危機を何度も乗り越えてきた
 往年は
「若大将」と呼ばれた加山雄三。俳優上原謙の息子で七光りデビューだったが、慶応大学卒というブランド、弾厚作のペンネームで作詞作曲も行い、日本のシンガーソングライターの草分けとなり、映画「若大将シリーズ」も大ヒットした。 
 ところが、好事魔多し。私生活ではトラブル続き。1965年(当時28歳)、神奈川県茅ヶ崎市に
パシフィックホテル茅ヶ崎を開業した。しかし、ホテルは1970年に倒産し、加山は父の上原とともに23億円という巨額の負債を抱え、光進丸も差し押さえの危機にあった。1個の卵を夫婦2人で分けあって、卵かけご飯を食べたという苦労も味わったが、10年がかりで返済した。1974年1月5日に、北海道の大和ルスツスキー場で雪上車にはねられて左肩を骨折し、1カ月の怪我を負った。さらに、バブルの時に120億円投資して手がけた新潟県・湯沢のスキー場経営に失敗して多額の借金を作り、モズライト・ギターで詐欺騒動に巻き込まれている。

 そして、「海の男」と呼ばれる彼にとって大ショックだろうと思える事故があった。

 3年前の2018年4月1日夜、西伊豆・安良里(あらり)漁港(地図)の沖合で停泊中に火災が起き、愛船の「光進丸」が沈没するという憂き目に遭う。


 彼は1978年に光進丸をモデルにしたレコード「光進丸」を発表したほか、2015年には神奈川・逗子マリーナで光進丸を前にライブを開催したこともある。彼の失意は如何ばかりのものだったろうか。

加山雄三/光進丸(1978年)

山雄三/海その愛(1976年)

 Wikipediaによると、1歳9ヶ月から31歳まで、海に近い神奈川県・茅ヶ崎市に住んだ。
 JR茅ヶ崎駅南口から、かつて父:上原謙の私邸(つまり加山雄三の実家)があった場所を経て国道134号に通ずる神奈川県道310号茅ヶ崎停車場茅ヶ崎線は、「上原謙通り」と名付けられ、後に
「(加山)雄三通り」と改称されている。なお「加山雄三通り」では、概略ながらこの道順が歌われている。

加山雄三/加山雄三通り(1978年)

 

座・ロンリーハーツ親父バンド

 検索してみると、自分のブログに加山雄三の名前が出ているのが、このブログを除き65作もある。おそらく自作の中では一番多いだろう。
 その中で、「加山雄三とザ・ヤンチャーズのメンバーの歌」(2015/7/11)がある。加山雄三は年を取ってからの方が円熟みを増して歌がうまくなったような気がする。
 
「加山雄三とザ・ヤンチャーズ」は、2010年にデビュー50周年を迎えた加山雄三(当時73歳)が、彼を慕う友人と結成した。 
 写真左から、若大将・加山雄三、フォークの女王・
森山良子(現在73歳)、谷村新司(同72歳)、南こうせつ(同72歳)、さだまさし(同68歳)、THE ALFEE【桜井賢(同66歳)、坂崎幸之助(同66歳)、高見沢俊彦(同66歳)】による日本を代表する豪華アーティスト8名の新ユニットである。

 今では完全に自分のNo.1カラオケの持ち歌と化したこの歌は、中高年に元気を与えてくれる曲だ。

加山雄三とザ・ヤンチャーズ/座・ロンリーハーツ親父バンド(2010年)

<歌詞>

 みんな歌おうもう一度 あの日のように声を合わせて ときめく胸 恋の歌 忘れられないあの歌 誰でもいつか年をとる 当たり前じゃないかそんなこと 大切なのは胸の炎 燃やし続けていること

 

 歌おう恋のときめきを(恋の歌を) 若造時代に気づかない 本当の優しさや 愛や生命の重さを それぞれ色々ありまして(夢破れて) 切ないながら生き抜いて(負けない) やっとこうして 歌おう さあ今こそ 人は一人じゃない筈さ

 

 ギター抱えて集まれば あの頃と少しも変わらない 我らロンリーハーツ親父バンド 温もりじゃ負けはしない

 

 一度も結婚しない奴(一度目もだめ) 二度も別れた不届きな奴(二度目も) 三度転んで起き上がり(三度目もほら) また転ぶのも人生(人生)

 

 いつかきっと笑えるさ(いつか きっと) どんなに苦しい坂道も どうにか乗り越えて 生きてきたのだから話せば長い物語(思いがけず) 運の良いこと悪いこと(それぞれ) ああ 何もかも 笑い飛ばして人は一人じゃない筈さ

 

 ギター抱えて集まれば あの頃と少しも変わらない 我らロンリーハーツ親父バンド 元気じゃ負けはしないぜ

 

 加山雄三さん、まだまだ元気でね!