★第71話:矢切の渡し | 中高年の中高年による中高年のための音楽

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 前作「倍賞千恵子」に続き、「男はつらいよ」つながりで「矢切の渡し」を。

 

寅さんと「矢切の渡し」

 

 第69話:映画「男はつらいよ」で、今年の1月1日、NHKBSプレミアムで、14時から19時までの5時間、第1作:男はつらいよ(1969年)、第9作:男はつらいよ「柴又旅情」(1972年)、第15作:男はつらいよ寅次郎相合い傘(1975年)という3本の映画を観たことをお知らせした。

 

 その第1作の中で、矢切の渡しの映像が流れ、懐かしさが込みあげてきた。

 寅さんが14歳の時、今は亡き父と大ゲンカして家出してから、20年振りに故郷に戻ったとき降り立った場所がその、矢切の渡しだった。 

 

 「男はつらいよ飛耳長目録」によると、寅さんが乗ったのは、次の5作品だと言う。


ちあきなおみの「矢切の渡し」

 

 当時自分は「男はつらいよ」という国民的人気映画にはあまり関心がなく、その映画のシーンに何度も矢切の渡しが現れたことは全く知らなかった。

 

 ちあきなおみ(現在72歳)のヒット曲「矢切の渡し」(1976年)で、この場所の存在を知った次第だ。

 

ちあきなおみ/矢切の渡し(1976年)

 「矢切の渡し」は、石本美由起の作詞、船村徹の作曲による演歌で、1976年にちあきなおみのシングル「酒場川」のB面曲として発表され、1982年にA面シングルとして発売された。翌1983年に多くの歌手によって競作され、今では、この曲でレコード大賞を獲った細川たかし盤の方が有名だが、当時のUSENのチャートではちあき盤が首位を独走していた。それが、細川盤の発売にあたって、細川の所属する日本コロムビアはすぐにちあき盤を生産中止にしている。

 
 余談になるが、私が今でも腑に落ちないのは、細川たかしファンには申し訳ないが、「矢切りの渡し」も、ちあきなおみの方がずっとうまいと思っている。それが、片や同じレコード会社の後出しが日の当たる『日本レコード大賞』受賞である。何となく、芸能界の黒い霧を垣間見た感じで、すっかり嫌気がさしたことがある。
 
 ちあきなおみは、今でも全集が何度も発売されるレジェンドの歌姫だ。自分が死ぬまで彼女の歌声を一度聴いてみたい。
 

矢切の渡しの思い出

 

 今から14年前の56歳、2005年の秋に東京の下町巡りをした際、葛飾柴又を周った後、船に乗ったのが「矢切の渡し」だった。もうそのときはちあきなおみの同名の曲がヒットして30年、引退して13年も経っていた。

 

 当時はある会社を辞めて失業の身であったが、ほぼ同時に同じ会社を辞めた女友達と、結果的には2ヶ月だけとなった再就職活動の合間に、半ばやけのやんぱちで、何度か近場の旅行を重ねていた。

 

 2005年(平成17年)といえば、既に寅さんこと渥美清は1996年に亡くなり、男はつらいよシリーズは終了し、その後継映画と言われる22回続いた「釣りバカ日誌」も終盤の第16作(画像)が公開された年だ。

 

 京成金町線の柴又駅を降り、帝釈天参道をぶらぶら歩くと、有名な柴又帝釈天題経寺(だいきょうじ)にたどり着く。

 

 男はつらいよ」では、今は亡き笠智衆(1993年、88歳写真左)の御前様寺男・源ちゃんこと佐藤蛾次郎(現在75歳)が働いていたお寺だ。

 

 

 そこを越え少し歩くと葛飾側の矢切の渡しに着く。


 矢切の渡しの歴史は古い。元和2年(1616年) というから今から4百年前、幕府は利根川水系河川の街道筋の重要地点15ヵ所を定船場として指定、 それ以外の地点での渡河を禁止した。その1つが矢切の渡しだ。 この付近を通る国分道に架かる渡しで、主に近郷の農民が対岸の農耕地へ渡るために利用していたという。現在、 都内に残る唯一の渡し場で、 今も昔ながらの手漕ぎの和船が対岸の松戸市下矢切との間を往復している。

 

 片道料金100円(*2012年から200円に値上げしたようだ)を船頭に渡して、150m向こうの対岸へと江戸川を渡ると、そこは千葉県の松戸市だ。

 

 

 一時のブームが去ったせいもあるのか、それとも平日だったせいなのか、客は我々の一組だけ。松戸側は土日を除き交通の便が悪いので、往復券を買ってまた葛飾側に戻るのが一般的のようだ。

 

 それを知らず、松戸側に渡って途方に暮れた。船着き場は写真左の通り、全く殺風景で何もないところだ。どこに向いて行けば最寄り駅に着くのかも分からない。周りは見渡すばかりの田畑である。(写真右)ようやく、北総鉄道北総線・矢切駅に着いた。

 

 これがそのMapである。

  これは、東京柴又map

 懐かしい思い出の一コマである。

 

 追伸:「男はつらいよ」シリーズの第31作「旅と女の寅次郎」(1983年)で、マドンナの都はるみが旅館で「矢切の渡し」の一部を歌っているシーンがあった。