広島県出身の(美人)アナウンサーたち【その1】 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。

 9年半前、ブログを始めて半年経ったときの記事だから、少し古い。第195話:広島県出身の女性アナウンサー2009/9/23)という記事を投稿したことがあった。
 
広島県出身の(美人)アナウンサー
 
 ①田丸美寿々(66歳、元フジテレビ、安芸高田市出身)、 ②頼近美津子(2009年、53歳で没、元NHK→フジテレビ、安芸郡府中町出身)、③杉浦圭子(60歳、NHK、広島市出身)、④西山喜久枝(49歳、フジテレビ、尾道市出身)、大下容子(48歳、テレビ朝日、広島市出身)、⑥ 魚住りえ(43歳、元:日本テレビ、広島市出身(出生地は大阪府))、⑦山本モナ(43歳、元朝日放送、尾道市出身)、⑧久保田智子(42歳、元TBS、東広島市出身(出生地は横浜市))、⑨青山祐子(46歳、NHK、廿日市市出身)の総勢9名。(年齢は現在)
 
 いずれも、広島県出身の(美人)アナウンサーたち。出身地は地図で見ると、次の通り。
イメージ 1

10年後のそれぞれの人生
 
 「十年一昔」というが、10年経つと、人生も変わる。
 
イメージ 6
 頼近美津子さん(写真左)は、当時の記事を書いた4ヶ月前にお亡くなりになった。
 
 男女関係でも話題を呼んだ田丸美寿々さん(写真左から二番目山本モナさん(写真右から二番目)もテレビで見ることは無くなった。
 
 久保田智子さん(写真右)は2017年、TBSを退職した後ニューヨークに渡り、コロンビア大学大学院修士課程を卒業し、今は、広島市が進める被爆体験伝承者養成事業に応募し研修中で、早ければ2020年春には活動を始める予定だという。
 
 現在もアナウンサーで活躍している人は、みんな偉くなった。
 
イメージ 7
 西山喜久恵さ(写真左)はアナウンス室副部長職を務めるフジテレビチーフアナウンサー。ワイド!スクランブルのメインキャスターや、ビートたけしのスポーツ大将の進行役を務める大下容子さん(写真右)はテレビ朝日のアナウンス部課長である。
 
杉浦圭子さん
 
イメージ 2
 杉浦圭子さん(写真)は、昨年11月、3度目の広島勤務で定年を迎えた後も、NHKのエグゼクティブアナウンサーとして、この地で情報番組の顔として活躍をしている。
 
 最も好きなアナウンサーの一人で、自分の故郷とは言え、田舎(失礼!)におくにはもったいない逸材だが、残念ながら、もう長いことお顔を拝見したことがない。
 
 1988年の『第39回NHK紅白歌合戦』では、女性で初めて総合司会を務めたことも有名だが、『歌謡パレード』(1989年~1991年)の総合司会の見事さに驚いたことがある。

 この人の記事が3月15日の朝日新聞「ひと」に載っていた。杉浦圭子さん 故郷でヒロシマと向き合うアナウンサー。今でも素敵な女性である。
 
 自らが被爆2世であることから平和への思いは強く、被爆者、平和活動のグループなどの取材を精力的にこなし、伝えることの大切さを学んでいるようだ。
 
 記事はこんな内容。
 
 「ヒロシマの羅針盤」。故郷・広島での仕事を通じて見つけた宝物という。伝え方に迷う時、「命の尊さや一人ひとりの存在の重さ」を常に示してくれる。
 
 被爆40年の1985年8月6日、広島からの生中継で用意された言葉を伝えた。「ここで悲劇が起きました」。苦情が来た。「ドラマじゃないんだ」。広島で育ったのに、自分の言葉を持たないと恥じた。
 
 1991年からの最初の広島時代。病室のベッドに正座して被爆体験を話す女性がいた。「自分はこんなに必死に人に話をしただろうか」
 
 2007年、2度目の赴任で被爆者の手記の朗読を担当した。13歳で被爆し、半身にやけどを負いながら郊外まで歩いて帰った父の体験が理解できるようになった。「父が行き倒れていたら、私はいない」
 
 広島で母になり、育てた。通勤で通る慰霊碑には、少女の名がびっしり刻まれていた。「原爆は、子の夢や希望を一瞬で奪った」
 
 少しずつ、原爆詩などの朗読活動に取り組んでいる。「第二の人生、ヒロシマを伝えることに役立てたい」
イメージ 3
 魚住りえさん(写真)は、日本テレビの7歳年下の後輩アナウンサー、森圭介と「汐留スタイル!」で共演し、意気投合して2004年に結婚。社内の規則により夫婦揃ってアナウンス部に在籍できないため、退社。その後2005年に離婚。現在は「魚住式スピーチメソッド」を立ち上げ、講師としても活躍している。
 
 ところで、前作で、3月15日(金)の記事アクセスランキングを紹介したが、10年近く経った今もこの記事がベスト・テンの10位に入っている。
 
イメージ 4

 何故ランクインしたのかを想像してみるのも面白い。
 
イメージ 8
 これは、NHKアナウンサー・青山祐子さん写真)の育児休職の話題が関係しているのではないかと思っている。
 
 2008年に「ニュースウオッチ9」のアンカーキャスターを務め飛ぶ鳥を落とす勢いだったが、2011年に医療福祉関連会社役員と結婚。 2012年3月第1子男児、2013年第2子女児、2015年7月に第3子男児。2017年第4子となる女児を出産と、5年間に4子を授かり、約6年間にわたり産休・育休中。NHK在職中に、数年間育児休暇を連続してとったことが問題だとして、話題になっている。
 
 見方を変えると、こんな少子化の日本に貢献したので、表彰してもいいのじゃないだろうか。
 
 新聞記事(日刊ゲンダイ、3/16)を見てみよう。NHKも優遇なし 青山祐子アナに「育休中の給与返せ」猛批判の誤解』
 
 大橋巨泉さん(2016年死去)は生前、深く考え込みながら「人間が生まれてくる意味は結局、子供を産み育てることなんです」と語っていた。宇宙の真理、平和といった解決不能な事象も、後世の人に答えを託すしかないという意味だった。
 
 一方、「為せば成る」の米沢藩主・上杉鷹山は人口増こそが富の源泉という考え方で、困窮する藩財政から出産手当金と子だくさん家庭に、児童手当を支給したものだ。
 
 この先達の考えに逆行した意識が国内で高まっている。(中略)およそ6年間にわたり産前産後休暇と育児休業を取得し、現在も育休中。批判の多くは「育休中にもらった給与を返還しろ」「公務員ならまだしも民間ではありえない」といった内容。出産自体には賛同を示しつつ、育休制度を悪用しているという見方だ。
 
 ここで多くの人が誤解しているが、NHKはもちろん、国家公務員や学校の先生に至るまで「育休中に給与は支給されていない」。「育児休業は子が3歳に達するまで取得可能ですが、その間の俸給は支給されません。退職手当(退職金)も休業期間に応じて減算されます。ちなみに、介護休暇期間中も減額されます」(内閣府官房)
 
 共済制度で子が1歳まで標準報酬日額の50%が支給されるが、民間でも雇用保険から給料の67%(6カ月以降は50%)の育児休業給付金が出ているのでNHK職員や公務員が特別に優遇されているわけではない。
 
「つい最近、『子連れ出勤を認める世の中にしたいですね』という新聞記事が炎上したケースがありました。皆さん、口では子育ては大事と言いつつ、30年前のアグネス論争から意識はあまり変わっていないようです。確かに誰かが休めば、その同僚に仕事のシワ寄せがきます。それを迷惑と取るか、子は社会の宝だからと大目に見るかは、個人によって意見は分かれると思います。ただ、今の日本人は少しずつ寛容性が薄れているような気がします」(作家の夏目かをる氏
 
 育休を心苦しく思いながら取得しているパパ・ママはまだ多いという。いずれ自分や子が、子育てする立場になるかもしれない。人はどうであれ、おおらかな心を持ちたいものだ。
 
 自分は、休業期間中、給与とか何らかの手当を支給しても良いと思っている。「女性活躍時代」と言っているのは、単に掛け声だけのような気がする。時代遅れの国「日本」だね。
 
 どうやら青山さんは退職するようだ。こんな人材を生かせないのは残念だ。
もう一人の広島県出身の(美人)アナウンサー
 
イメージ 5
 調べてみると、もう一人有名な女子アナウンサーがいた。
 
 府中市出身のNHK・小野文惠(50歳、写真)。
 
 今や「NHKの顔」と言われるアナウンサーの一人だ。