本当は、前作にまとめればいい話なのだが、相変わらずブログの調子が悪く、書きかけの文章があるところから表示されなくなるという現象が続いているので、引き続き、広島県出身の(美人)アナウンサーたち【その2】を。
題名を「広島県出身の(美人)アナウンサーたち」とカッコつきにしたのにはわけがある。
一つは2009年の作品と区別するため。もう一つは今やアナウンサーは美人が当たり前になったので、恐る恐る()に美人と入れたのだ。
●「美人女子アナ」の先駆け…田丸美寿々、頼近美津子
女性アナウンサーは通称「女子アナ」と呼ばれることが多いが、この略語を誰が作ったのかは定かではないそうだ。
しかし、「女子アナ」とは、タレント化した女性アナウンサーを意味する場合もある。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/cb/f8/j/o0188026814655405041.jpg?caw=800)
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/d2/e6/j/o0444064014655405044.jpg?caw=800)
週刊ポストは、頼近を「女子アナブームのパイオニア」と論じているそうだ。
確かに、当時の二人は女性アナウンサーの中では異彩を放っていた。写真を見ると、「萌え!」となりそうだ。
1980年4月にNHK初の早朝ニュースショー、『NHKニュースワイド』で、初代女性キャスターとして頼近美津子(森本毅郎とのコンビ(平日)、土曜日は山根基世と明石勇)が、同じ月から加賀美幸子が『7時のニュース』でメインキャスターとなる。田丸はフジテレビ女性キャスター第1号であり、業界全体でも女性キャスターの草分けである。
前作で紹介したこの二人は広島県出身という同郷で、しかも東京外語大の先輩・後輩の関係。さらに、父親がアメリカ生まれの日系二世というのも、共通点である。(注:Wikipediaではこう書かれてあるが、田丸は日系二世ではなく、帰国子女ではないだろうか)
そして、元々アナウンサー志望だった頼近は、大学時代から先輩の田丸に就職先など相談していた間柄であった。
1981年4月、頼近がフジテレビに引き抜かれて鳴り物入りで移籍してきたが、この移籍を手引きしたのは、田丸だった。田丸と頼近で「フジの二枚看板」と呼ばれたものだ。
●フジテレビ出身者
それにしても、「広島県出身の(美人)アナウンサーたち」にはフジテレビ出身者が多い。
先の田丸、頼近もそうだったが、西山喜久恵(49歳、尾道市出身)は現役のフジテレビアナウンサーだ。
頼近は1984年、当時フジテレビの副社長だった鹿内春雄と結婚(春雄は再々婚)しフジテレビを退社。玉の輿婚とマスコミを賑わせた。しかし、2児をもうけるも、結婚からわずか4年後の1988年、春雄は急性肝障害のため42歳で病死し、頼近は未亡人となった。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/cc/95/j/o0480027014655405048.jpg?caw=800)
好きな選手は大野豊だという。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/e8/c2/j/o0180023014655405050.jpg?caw=800)
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/bd/2c/j/o0200020014655405056.jpg?caw=800)
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/20/37/j/o0190026614655405059.jpg?caw=800)
共にカープファンという共通点もある。
●被爆伝承活動
広島県人共有のアイデンティティーと言えば、「広島カープ」と「平和に対する思い」だ。
平和に対する思いについては、前作で述べた久保田智子(42歳、東広島市出身(出生地は横浜市))と、杉浦圭子(60歳、広島市出身)の生き方からそれを感じる。
久保田は現在、広島市が進める被爆体験伝承者養成事業に応募し研修中で、早ければ2020年春には活動を始める予定だという。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20191201/05/wyxc-2k/72/ae/j/o0640048014655405061.jpg?caw=800)
杉浦さんのように、女性で初めてNHK紅白歌合戦の総合司会を務めたほどの頂点に立った人が、そんなことはすっかり忘れたように謙虚に生きる姿には感動を覚える。