映画は久しぶりだ。2016年の12月の「この世界の片隅に」以来というから、実に1年半ぶりである。
●上映の映画館を探す
上映館をネットで探してみたが、家の近くにはない。それでも、通勤途中の東急田園都市線沿い、二子玉川にある「109シネマズ二子玉川」が見つかった。ここだと定期券が使えるので交通費がかからない。
二子玉川は、勤務先の隣駅だというのに、ほとんど降りたことがない。最近では、よく起きる事故で電車が止まって、仕方なく職場まで30分ほど歩いた時ぐらいだ。
駅の周りはとてもモダンで、自分のようなおじさんは古いギャグだが、「お呼びでない」(画像)という雰囲気が漂う。
そして、今やどこへ行ってもそうだが、平日の昼は、有閑マダム(これも表現が古い!)の独り舞台だ。
映画館にも「おじさん」の客は少ない。それでも「終わった人」が定年後の男性のことをテーマにしているので、ここだけは少し世界が違っていた。
●小説を読んだ後に映画を観た感想
配役の相関図は次の通り。
物語の筋が事前に分かっていて、映画を観るというのは不思議な気分だ。既視感というか、もちろん初めての映画だが、一度観たことがある気がするのだ。
テレビの水戸黄門を観た感じと言ったらいいのか、結末が分かっているので安心感というべきか、わくわく感がないというべきか、果たして先に小説を読んだことが良かったのかどうか、考えさせられてしまった。
映画と小説との微妙な違いばかりがやたらと目に付いてしょうがない。
例えば、主人公の舘ひろし演じる田代壮介の恋人?役の広末涼子演じる浜田久里(画像)は、小説では秋田県出身となっていたが、映画では岩手県・花巻市出身という。
彼女が宮沢賢治のファンとか、方言のからみから見ても、「二人の出身県は同じ」という、映画の納得性の方が高い。
原作者の内館牧子さんは秋田市の出身というから、その思い入れがあり、後で「しまった」と思ったかも知れない。
■ちょい役で出演した原作者の内館牧子さん
内館牧子さん(69歳、写真)は、上図の相関図の中の「ジムや公園で会う老人たち」のちょい役で出演していたが、こういうのって本人はどんな気持ちなのだろうか。
単なる出たがり屋なのか、自分の作った小説の映画は自らが出演しないと気が済まないのか。
映画にちょい役で出演することで有名なアルフレッド・ヒチコック監督(1899-1980年、80歳で没、写真)の場合は予算不足の為、エキストラが足らなくてこれを始めたようだ。
彼女と自分は同じ69歳。俳優でもないのに、老いた自分の姿を映像で見るなんて、結構勇気がいるよね。
ところで小説(写真)の巻末には、彼女は脚本家の前に三菱重工業横浜造船所(現:横浜製作所)で約13年勤務し、社内報の作成を担当したが、妥協を嫌い、自分流を通しながらも上司からも同僚からも可愛がられ慕われていたというエールが、元の上司の佃氏から送られていた。
それにしても、主人公は岩手県盛岡市出身ということで、小説を書くに当たって、岩手県の友人知人を総動員して教わったとあるが、その彼女の人脈の広さとエネルギーには恐れ入った。一冊の本を作る苦労を垣間見た感じだ。
●岩手県について
■岩手県の人口
右は、岩手県の地図。
面積は都道府県の中では北海道の次に大きいが、森林が多く、人口は約128万人と、少ない方から数えた方が早い。
都市を見ると、石川啄木の出身地で、県都の盛岡市がトップの約30万人、2位は一関市の約13万人、3位は大谷翔平の出身地、奥州市の約12万人。
宮沢賢治の出身地、花巻市は4位で10万人。同市は盛岡市と直線距離で35㎞離れている。
ちなみに岩手県の北の端・久慈市から南の端・一関市までの、同じく直線距離は150㎞もある。
■盛岡弁
映画で何度も使っていた「盛岡弁」(下図)だが、広い県だけに地域が異なると方言は大分違うのではなかろうか。
さらに、東部(東日本)方言に含まれる東北方言は、北奥羽方言(右下図の濃青色の部分)と、南奥羽方言(同、水色の部分)に分けられる。
方言は「藩」の影響が大きい。
藩政時代の岩手県は、右図のように、盛岡藩・八戸藩・仙台藩・一関藩という、四藩の領域だった。
このため岩手県内の方言は、日本海側の新潟・山形方面から北上して青森県でUターンして岩手県へ入った、北部から中部にかけての北奥羽方言に属する中北部方言(旧南部藩域、南部弁)と、太平洋側の福島・宮城方面から北上してきた南奥羽方言に属する南部方言(旧仙台藩域、伊達弁)に分けられる。
そして、中北部方言(南部弁)を分類する場合、以下のように3区分する。
・北部方言地域 - 秋田県・青森県に接する地域
・中部方言地域 - 盛岡市を中心とする内陸部。盛岡弁はこの範疇。
・沿岸方言地域 - 釜石市以北の、北部方言地域以外の沿岸部。岩手県南部方言(旧伊達藩域)も一部含む。(Wikipedia 参照)
これには諸説もあるようで、ややこしい。
なお、2013年にNHK連続テレビ小説の「あまちゃん」の「じぇじぇ」という方言は、三陸海岸の架空都市の北三陸市が舞台だが、主役の能年玲奈(現在の芸名は「のん」、24歳)が喋る「じぇ」は「びっくりした」という意味で、ちょっとびっくりした時は「じぇ」、かなりびっくりした時は「じぇじぇ」本当にびっくりした時は「じぇじぇじぇ」というようだ。
●おわりに
映画では、「思い出と戦っても勝てない」という言葉と「卒婚」という言葉が印象に残った。
現実的に物事が見れるのは女性の方が勝っていると思う。特に壮介の娘・道子は言葉は辛らつだが当を得ている発言にドキっとさせられる。
例えばこんな言葉だ。(これは小説から引用した言葉で、映画でその通り言ったかどうかの確証はない)
「男の人って、すぐ故郷って言うんだよね。特に年取ると、故郷に帰りたいって言うのはほとんど男。女はまず言わない。分かってるからだよ」
「故郷は遠くにあって、遠くから思うからいいってことを、だよ。(中略)同級生や町の人は、たまには会うから優しくしてくれるの。(中略)だけど、戻ってくれば自分たちと同じだもの、誰も特別扱いなんかしてくれないよ」
彼が恋した浜田九里のことについて
「パパ、言っとくけど、世の中のオヤジの9割はメシだけオヤジだよ。ま、可哀想だから1回ぐらいはいいかっていうケースはあるけどさ、それは別に恋愛じゃないから。メシ代」
「百年つきあっても、あの女はパパとどうにかなる気なんてないよ。パパは、あの女にとってかけがいのない人だから」
「オヤジはすぐ誤解するけどさ、かけがいのない人ってのは、『友達として見ている人』のことだからね。『男として見ている人』っていうのは、簡単に代わりが出てきたりするからさ、かけがいなくないんだよ」
「卒婚」は、拙ブログ加山雄三【その1】で紹介した、加山雄三と、彼の妻である松本めぐみとの現在の姿で初めて知った言葉であるが、これからはこういう夫婦の形が増えていく予感がする。
「終わった人」は、面白い娯楽映画だったが、予備知識がなく、ハラハラして観た方が、さらに興味を増して自分には向いているような気がした。