森田童子の死 | 中高年の中高年による中高年のための音楽

中高年の中高年による中高年のための音楽

10年続けたYahoo!ブログから移転してきましたが、Amebaのブログライフも4年を越えました。タイトルは当時と同じ「中高年の中高年による中高年のための音楽」です。
主にオールディズが中心の音楽を紹介しています。よろしくお願いいたします。


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 「伝説のシンガーソングライター」と言われた森田童子(もりたどうじ)さん(写真)4月24日に死去していることが分かった。享年66歳、心不全だったそうだが、亡くなるにはまだ早い歳だ。

 「謎の人」というイメージが強く、相当美人だったと思われるが、人前ではいつもサングラスで絶対に素顔を見せたことがない。自分は彼女が男性と思っていた時期があるほどだ。

 森田童子という名も芸名で、本名は非公開だ。また、次の一文が、公表された彼女の実人生の全てである。

 「1952年東京に生まれる。学園闘争の渦中にあった高校時代、ラジオの深夜放送でサイモン&ガーファンクルを聴いていた。1970年に高校を中退、暇に任せてふらふらと旅に出る。1972年、20歳の夏、友人の死を知らせるはがきが届いたのをきっかけに、めまぐるしく疾風のように通り過ぎていった青春を振り返って歌い始めた

 この亡くなった友人をモチーフにした曲がデビュー曲となる「さよなら ぼくの ともだち」(1975年)である。


 彼女は、若さとむなしさが充満する歌詞と、語り掛けるような歌声が特徴で、
「ライブハウスの旗手」とうたわれるようになり、「地下の歌姫」としてカリスマ的な人気を博した。

 デビュー3年目の1977年6月、東京都・豊島公会堂での東京初のコンサート「童子像」は、定員800人の会場から300人もの観客があふれ出てしまったほどの盛況だったという。

 ところが、当時の所属プロデューサーだった市川義夫さん「80年代になると、もう自分の居場所はないと思ったのか、新曲を作らなくなった。その意味では、溶けていくように消えてなくなったというのでしょう」と言うように、1983年に東京・新宿ロフトでの公演後、活動を休止した。

 明確な引退宣言はなかったが、引退後は主婦として暮らし、表舞台に出ることはなかった。

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 引退した10年後の1993年、TBS系で放映されたドラマ「高校教師」(画像)が一斉を風靡した。

 東京の女子高に赴任した生物教師で、真田広之(現在57歳)演じる羽村隆雄と、今は引退したが、当時19歳だった桜井幸子(現在44歳)演じる高校2年生の二宮繭が、教師と生徒との恋愛という社会的タブーに真っ向から捉えた演技に挑戦し、空前のヒット。

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 著者、野島伸司(現在55歳、写真)の名が世に知れ渡った作品でもあった。

  
主題歌には、森田童子の曲「ぼくたちの失敗」(1976年)が選ばれ、リバイバルヒットとなった。


 <歌詞>

 春の木漏れ日の中で 君の優しさに 埋もれていた僕は 弱虫だったんだよね 
 君と話し疲れて いつか黙り込んだ ストーブ代わりの電熱器赤く燃えていた
 地下のジャズ喫茶 変われない僕たちがいた 悪い夢のように時が撫ぜていく
 僕が独りになった部屋に君の好きな チャーリー・パーカー*見つけたよ僕を忘れたのかな
 ダメになった僕を見て 君もびっくりしただろう あの子はまだ元気かい昔の話だね 

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 *チャーリー・パーカー(1920 - 1955年、34歳で没、写真)は、アメリカ・カンザスシティ出身のジャズミュージシャン。アルトサックス奏者でコンポーザー。
 
 1940年代初頭から、モダン・ジャズの原型となるいわゆるビバップスタイルの創成に、ディジー・ガレスピーと共に携わった。これにより「モダン・ジャズ(ビバップ)の父」とも言われる。(Wikipedia 参照)

 そのヒットを受けて復帰の要望もあったと言われるが、森田本人にはすでにその意思はなく、取材にもほとんど応じなかったため、結局何の音沙汰もないままヒットしたことが独り歩きした状態となった。

 主題歌の「ぼくたちの失敗」以外に、挿入歌として
 
「男のくせに泣いてくれた」(第4話エンディング)

「G線上にひとり」(第5話エンディング)


「ぼくが君の思い出になってあげよう」(第7話エンディング)

「君と淋しい風になる」(第8話エンディング)

「君は変わっちゃたネ」(第9話オープニング)

 が使われている。
 これらのことは、朝日新聞土曜版 be on Saturdayに掲載された「うたの旅人」”人の弱さをいとおしむ 森田童子「ぼくたちの失敗」 新潟・柏崎”(2010年5月22日、文・保科龍朗)に書かれてあった。(一部Wikipedia 参照)

 そのとき、beの筆者は本人にインタビューを申し込もうとしたが、とても親しかった人との唐突な死別と、自らの病で「手紙すら書けないほど憔悴している」と断りの返答があったそうだから、当時から体調は不良だったようだ。

 その記事を元に2010年、「第466話 森田童子」というブログを投稿したことがある。

 調べてみると、今は見当たらない。どうやらYahoo!から削除されたようだ。
 くだんのbeでは、「高校教師」の主題歌に「ぼくたちの失敗」を採用したいきさつが書かれている。

 ことの起こりは、喫茶店でプロデューサーの伊藤一尋さんと、脚本家の野島伸司さんが主題曲について思案に暮れるうち、どちらともなく「森田童子って知っている?」と言い出したことだ。

 学生時代に聞き覚えのある森田さんの歌の数々を聞き返してみると、どれもが主題歌になりそうなほど、耳にしっくりとなじんだという。

 伊藤さんの話によると、「人の弱さをいとおしむように歌う森田童子の音楽の世界観が、ドラマのそれとまさに共鳴し合っていた。野島さんも、聞きながらドラマの構想を練っていると、イメージがあふれてきそうだと意気込んでいた」そうだ。

 ドラマでは、孤独と絶望を抱えて惹かれ合い、最終回、遂に救いのない逃避行へ旅立つシーンがある。

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 車内で肩を寄せ、もたれ合って座っている二人は、互いの小指を赤い糸で結び付けていて、まどろんでいるだけなのか、永遠の安息へ近づこうとして情死してしまったのかは判然としない。

 その謎めいたラストシーンにも重ねられて流れてくる主題歌が「ぼくたちの失敗」だった。

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 晩冬の最中、彼らが乗り込んだ駅は日本一海に近い駅」と言われる、新潟県柏崎市にある無人駅青海川」(おうみがわ、写真、地図

 長岡駅から普通列車で約50分。本数は1〜2時間に1本。下りホームは波に洗われそうなほど海辺に迫り、洋上の駅にたたずんでいるかのようなシュールな錯覚に襲われるそうだ。

 窮屈な待合室とトイレしかない駅舎には、青海川日記」と表書きされた、誰でも書き込めるノートがあり、それを読むと、この駅はいまだにあの背徳と禁断の愛の物語を追憶する手がかりとされていることが分かるという。ちなみに、柏崎野島伸司の故郷である。

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 自分は次の二つの曲が好きで、何度かブログで紹介したことがある。

 どちらも、1993年にワーナーミュージック・ジャパンより発売された『たとえばぼくが死んだら 森田童子ベスト・コレクションII』のアルバムに収納されている。

森田童子/たとえばぼくが死んだら


森田童子/みんな夢でありました


 「たとえばぼくが死んだら」の歌詞は次の通り。
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 たとえばぼくが死んだら そっと忘れて欲しい 淋しいときはぼくの好きな 菜の花畑で泣いてくれ 

 たとえば眠れぬ夜は 暗い海辺の窓から ぼくの名前を風に載せて そっと呼んでくれ

 切ない曲だ。引退してすでに35年。本人は人目を忍んでそっと消えたが、どっこい、彼女の音楽はしっかりと残っていた。

 ご冥福をお祈りします。合掌。