中学1年生は4月からまだ3か月が過ぎただけです。
ですが、もう苦手意識を持ってしまっていて、できないと思ってしまっている人がいます。
小学生の時からの延長だからしょうがない。
小学生の時にもう苦手だったのだからしょうがない。
なんていう声も聞かれます。
英語などはまだ、学習したばかりです。
でも、もう英語は苦手と言って、勉強する気が起きないようです。
小学生の時に学習していて、その時にもう苦手だと思ったからと言うのです。
英語を得意にしようと思って始めた小学生からの英語学習が完全に裏目に出た状態です。
中学生の英語の勉強のスタートラインに立った時にもう走る気がしていない状態です。
まだまだ、気分新たに英語の勉強ができるはずです。
初心に帰って、まず単語を覚えることから始めてもらいたいと思います。
数学なども初めから自分は苦手だと思ってしまっている人がいます。
小学生の時に算数が苦手だったから、当然数学も苦手だ。
このように思うのは当然です。
でも中学生の数学の計算は小学生の時のようなめんどくさい計算は多くありません。
ですから、小学生の時のように、計算力がそのまま算数の出来不出来に関係することはありません。
中学の数学では小数の計算はほとんど行いません。
2桁でわったり、かけたりするような計算も少ないです。
ほとんどが整数の簡単な加減乗除です。
しかも、中学1年生の7月学習の「式の計算」では、3+8くらいの計算になります。
ですから、本当は小学生の時に算数が苦手であっても、中学1年生の今の時期なら得意になるとは言いませんが、苦手意識はなくすことができるはずです。
でも、そうならないのは苦手意識を持ってしまう間違えるパターンがあるからです。
それは
TBSラジオのポッドキャスト配信が6/30(木)で終了した。
今まで毎日、このポッドキャストをipodに入れて、掃除、ランニング、外出時、車中などで聴いていた。
多くの情報をこのポッドキャストで得ていた。
それがなくなってしまう。
配信終了の知らせがされる前に、ポッドキャストの始まり部分にCMが流される時期があった。
その時はCMが邪魔だ。
と強く思った。
2分のポッドキャストにCMが始まりに30秒位入る。
これはつらい。
CMが入るごとに舌打ちしたい気持ちになる。
でも、ポッドキャストがipodで聴けなくなった今ではCMが入っていてもいいから、配信を続けて欲しかった、とつくづく思う。
CMに対する考え方が変わった。
この前、映画館に行ったら、映画が始まる前のCMがいつもより多かった。
以前だったら、今回はCMがいつもより多すぎると不満タラタラだっただろう。
それが、今回はポッドキャスト配信終了の件があるので、CMに好意的になっている自分がいた。
CMがたくさんでも良い。
そのおかげで、この映画館の経営が安定するなら。
この映画館がつぶれてしまうというようなことにならないのなら。
そんな気持ちでCMを見た。
CMにやさしい気持ちになった。
11/19(木) グランドキャニオン⑧
目覚まし時計は 6:45 にセットされていたが、体が足が痛くて起きられない。
結局、目が覚めたのは8:00 になる。
8:30 今日ももう一晩延長して宿泊することにした。
宿泊延長の手続きをする。
8:35 ロッジ出発。
ビジターセンターまで5マイルという立札を見つける。
8:55 そのまま遊歩道を歩いて行く。
Yavapai Museum。
9:10 マザーポイント。
9:30 ここからは遊歩道がなくなる。
道になっている所を歩いて行く。
マザーポイントから30分位歩く。
歩く道がなくなって、車道に出る。
車道に沿って歩いく。
10:20 Kaibab Trail 入り口に着く。
10:25 下におりて行く。
11:10 CEADAR RIDGE に着く。
ここには一応トイレがあるので、入る。
前の景色の良い所に座って、景色をゆっくりと眺める。
11:45 CEADAR RIDGE を出発する。
グランドキャニオンを歩く





11/18(水) グランドキャニオン⑦
16:15 KAIBAB TRAIL を登頂。
上でみかんを食べて、水を飲んだ。
風が強くて冷たい。
体がすごく冷えてしまった。
ちょっと寒い。
最後の登りで、すごく汗をかいてしまった。
その汗がひかないまま風に当たってしまった。
ここからマザー・ポイントまでがまた長い。
疲れたなんて言っていられない。
17:10 マザー・ポイントへ到着。
18:00 ジェネラル・ストアに着く。
18:30 ブライト・エンジェル・ロッジにやっと到着。
部屋に入って、シャワーを浴びる。
飲み物を飲んだら、疲れが出てきて動けないくらいだ。
20時頃から23時頃まで眠ってしまう。
グランドキャニオンを歩く




4月5日(土)に桜の見物にいろいろな場所に行った。
本当は皇居の乾通りを歩いて桜を見物する予定だった。
1週間前はそのつもりだったけれど、マスコミで取り上げられる情報から、人の混雑さがハンパではないことを知り、断念した。
そこで、まずは王子の飛鳥山公園の桜を見に行った。
桜の花はもう満開を過ぎていて、葉桜っぽくて、すごく綺麗というのからは、ちょっと離れていた。
その桜の花とは裏腹に、人は満開だった。
しかも、お酒の臭いが充満していて、歩いていても桜を楽しめなかった。
次は、靖国神社の桜を見に行った。
靖国神社に行ったのは初めてだったので、これが噂の靖国神社か。
という気持ちの方が勝って、ちょっと身が引き締まる思いだった。
ここも、人の多さで目が回りそうだった。
次に千鳥ヶ淵緑道を皇居のお濠を見ながら桜の花を堪能。
これが一番きれいだった。
人の多さはどこも仕方ない。
飛鳥山公園


靖国神社


千鳥ヶ淵


漫画「宇宙兄弟」第23巻のテーマは「夢」のようだ。
「宇宙兄弟」は始めから夢に向かって進む物語だけれども、今回は多くの人々の夢が結集している。
そして、夢を持ち続けることは、貫き通すことは、夢の実現にも近づいていることでもある。
というようなことを考えさせる。
今回23巻を読んで、また1巻から読み返して見ている。
12巻まで読んでみると、この辺までの話は言い換えると、究極の就活物語でもあるようだ。
宇宙飛行士をめざして何回も面接を受けて、選考試験を受けて、ふるいにかけられ、最終的には選抜試験と言われていないところで人柄をチェックされて合否が決定される。
今、就活で大変な学生も、「宇宙兄弟」の登場人物のようにチャレンジして挫折もあるかもしれないけれど、多くの学生が良い結果を得られることを望んでいます。
いい素材を使っているモノがいいモノとは限らない。
だけど、失敗を知って乗り越えたモノなら、それはいいモノだ。
ただし、本気でやった場合に限る。
本気の失敗には価値がある。
先週は金曜日から休ませてもらい、久しぶりに3連休とさせていただきました。
そこで、21(金)に水道橋の文京シビックセンターに行って、昼食をとりました。
シビックセンターの25階にある展望ラウンジから見る景色は、いつも地を這うような生活を送っている者としてはちょっと別世界のようでした。
ちょっとオーバーですが…。
スカイツリーはドデーンと立っている。
東京タワーはビルの間から頭をちょっこっと出している。
新旧二つのタワーがしっかり見えた。
展望台から周りを見ると、結構、建築中のビルが多いのが気づきました。
とても長いクレーンが目立ち、この辺りは建築ラッシュのようだと一人で合点していました。
昼食後は買い物のために、新宿に行きました。
新宿では、人の多さに目が回るようでした。
人が多く集まっているような場所に行くのは嫌いではないのですが、人が多いのは嫌いだ。
という矛盾した気持ちに気がつきました。
新宿では、ちょっと目が回ってしまった。
という感じです。
やはり、人が少ない方が落ち着く。
そんな気持ちを再確認しました。
11/18(水) グランドキャニオン⑥
5:45に目覚まし時計はセットしていたが、体がいうことをきかず起きれなかった。
結局、目が覚めたのは8:00頃になってしまった。
今日はグランドキャニオンを下って行ってコロラド川の近くまで行く予定。
8:30 ロッジ出発。
8:40 下山開始。BRIGHT ANGEL TRAIL
10:15 INDIAN GARDENSに出る。
ここは牛などがいて、ヘリコプターが発着していた。
10:30 小さな川に出る。コロラド川の支流と言って良い。
11:25 コロラド川がやっと見える。本当にやっとという感じ。
この川沿いに歩いて行ってシルバーブリッジを渡る。
12:00 コロラド川の河原で水を飲み、パンを食べる。
12:25 もうひとつの橋ブラックブリッジを渡る。
13:45 とても景色の良い所に出る。
思わずグランドキャニオンに来たんだという実感が湧いてくる。
しばし、ぼうぜんとしてその場の景色をただただ眺めて立ち尽くす。
ここからの登りの景色もとても良い。
グランドキャニオン



「銀の匙Silver Spoon」第11巻は冬の巻の終わり。
そして、主人公八軒の大蝦夷高校1年生の終わりでもある。
毎回、読んでいると登場人物が何気なく良いことを言っている。
思わずメモしなきゃ、なんて思ってしまう。
「努力は必ず報われるものじゃないけれど、そうあってほしいよ。」
「でもさ、努力が結果にあらわれなくても…、努力を見ててくれる人は必ずいるでしょ?」
高校に入って1年間で主人公八軒は大きく成長した。
今回、今まで目標が見つけられなくて悩んでいた八軒は起業という大きな目標を見つける。
校長先生が1年間を振り返って「銀の匙」の意味だけでなく「銀の匙」を作っている人について語っている。
子供ができた時に銀の匙を1本贈るのがスタンダードだけれども、中には子供の誕生日が来るたびに1本ずつプレゼントする親もいる。
すると、その子供が成人したころには銀のカトラリーセットという立派な財産ができる。
子供はその銀器セットを持って旅立ち、外で新たな家庭や社会を築いていく。
銀職人にとって年に1本しか注文しない客は上客とは言えない。
けれども、職人さんはそういった人のために専用のデザインを変えず、その時の最高の技術を使って毎年1本ずつ納品する。
作り手も贈り手も長い年月、技術と愛情をかけてその家だけのセットを作り上げる。
完成させたセットは家の歴史であり、子の歴史であり、職人の歴史でもある。
世の中、健康のためにとか、長生きするためにとかいった情報が注目され氾濫もしている。
長寿社会になったことのあらわれでもあるのだろう。
町を歩くと、マッサージも入れた整骨院関連の店舗も増えているように感じられる。
自分が膝が痛いのでそれらの看板が目に入りやすいのかもしれないが、やはり以前より多くなっている感じがする。
機械だって20年も働いていればびっくりされる。
人間は70年、80年が当たり前になってきている。
体のパーツが悪くならないということの方がおかしい。
年齢が進めば体のあちらこちらで具合が悪くなるのは当然のこと。
若い頃と変わらないというのがおかしい。
そんな考えが当たり前というくらいのスタンスで良いだろう。
健康のために何かをする。長生きのために何かをする。
またはすすめられてそれらのために何かをする。
そんな気が起らない。
それが今健康ということなのだろう。
今が健康だからそうなのだろう。
そんな今、健康、長生きに関して思うこと。
闘病でがんばっている人たちからは不謹慎、何も分かっていない。
とお叱りを受けることになるだろう。
健康、長生きについては「want」より「must」… かな。
それが今の心情。
やっぱり、何も実感していないで、分かってもいないのだろう。