今日、家に戻ってみると、金魚の水槽の明かりが消えていた。
蛍光灯が切れてしまったのだ。
新しい蛍光灯を買って、取り替えなければならない、と思いながら、携帯電話を充電しようとすると、ランプがつかない。
「あれっ」と思い、試しに家の蛍光灯をつけてみようと、スイッチを押してみても、家の蛍光灯がつかない。
電気がきていない。
ブレーカーがとんでいるかもしれないと思って、ブレーカーを見ても、どのスイッチもONになっている。
これは停電だと思い、東京電力に電話をした。
すると、自分の周りの家からは停電の話がなく、自分の所だけだ、ということだ。
そして、30分位で修理にやってきた。
修理に来た人が、外の電柱の上を見た後、下に何か棒のような物が落ちているのを発見した。
「これだ」と言って、説明してくれたところによると、電柱の上のトランスが何らかの影響により、壊れてしまっている、ということらしい。
1時間位で修理が終わって、家にも電気が流れるようになった。
昔は、停電などよくあった。
家が停電すると、家族でロウソクの炎の周りに集まって、電気がくるのを待っていた。
最近は、雷が落ちたりして、少しの間、停電することはあっても、よくあることはない。
また、最近の停電は、ちょっと待っていると、すぐになおり、、送電されてくる。
停電して、すごく困った、という経験はない。
しかし、今回、あらためて電気のありがたみを感じた。
現代社会は、電気がないと成り立たない。
今回も、修理が長引いたなら、仕事にも影響が出てしまう。
でも、そんなことはないと言う気持ちが強いので、のんびり構えていられる。
電気は必需品なので、修理に2、3日待ってください。
ということは、ないと思っている。
そのように思えるくらい、電気のある生活は当たり前になっている。
でも、今回、すぐに電気が流れてこなければ、金魚の水流ポンプが働かず、金魚は酸素不足で死んでしまう。
電気が流れてこないと、困るものばかりだ。
パソコン、蛍光灯、冷蔵庫など、数え上げたら、きりがない。
すべて電気によって、動くことが前提になっている。
あらためて、電気のありがたさを再認識した。
それとともに、電気以外でも、あるのが当たり前になっている物が多くあることを再認識した。
家族など、いるのが当たり前、空気など、あるのが当たり前、そんな気持ちでいるものが多くある。
当たり前に、いること、あることのありがたさをもう一度、しっかり考え、感謝の気持ちを持つことが必要だ。