シンビジュームの花芽が3本出てきたので、そえ木を刺して、花芽の茎をビニールひもで縛っておいた。
だんだん、花芽が大きくなって伸びてきた。
特に1本は、花芽が色づく手前だけれども、花芽の数は15個位あって、きれいに咲くことを期待していた。
その花芽の多い1本は、茎が伸びるにつれて、花芽が垂れて茎が曲がってきた。
そこで、花芽がついている真ん中あたりの茎をビニールひもで、そえ木にしばって、茎をまっすぐにしようとした。
茎をしっかり、まっすぐにして、そえ木に縛った。
すると、あろうことか、花芽が空中に浮いた。
花芽がついている茎が、母体から離れた。
つまり、折れて花芽のついている茎が取れてしまった。
一瞬、体中から血の気が引くのを感じた。
「やってしまった」
と心の中で叫んだ。
実は、昨年も同じことをしたということを思い出した。
学習していない。残念だ。
矯正しないで、自然のままになるようにしておけばよかった。
きれいに花が咲くことを期待していただけに、ショックは大きかった。
伸びていくものを、まっすぐではないということだけで、まっすぐにしようとすることは、本来の姿ではないのかもしれない。
自由に伸びていくものをこちらの都合で矯正することは、よりいっそうきれいに伸ばすこともある。
逆に、今回のように、つぶしてしまうこともある。
むずかしいことだ。
このことは、生き物すべてに言える。
どちらが、よいかは結論は出ない。
しかし、今回は失敗だ。
自由にのびのびさせればよかった。
矯正させる側に、力がなかったことになる。
力不足の矯正は、伸びる力をつぶしてしまう。