今日は具体例で紹介しますね。
当時神経質者の会に所属していたA子さんは、40歳くらいでした。彼女は会に来るずっと前から、親を憎み続けていたそうです。
それはものすごいパワーで、罵っても罵っても足りない。親への憎しみ以外何も考えられない状態でした。
画像 やすらか庵 人を恨んではいけませんか?
A子さんの母親は、ひたすら謝り続けました。罵られては「すみません、ごめんなさい」と謝る。謝られてはまた罵る。と言う繰り返しです。まるで親が謝れば謝るほど、A子さんの親への冒涜は激しさを増していたようです。ところが・・・
この親が突然死してしまったのです。あとにはA子さんの憎しみだけが、取り残されてしまったのです。対象は消えてしまったにもかかわらず、彼女の憎しみは消えることがありませんでした。
このままでは、彼女の一生は、親を怨むだけで終わってしまうでしょう。
画像 Pixta.jp 親子喧嘩
彼女の一番の問題は、すべて親のせいにして、
『自分の問題を自分で背負っていない』ことに尽きるのです。
「親が悪い」と言う物語を語り続けることによって、自分から目を背けていたのです。彼女は親を憎み続けることによって、あらゆる現実から目を背けていたのです。(現実が見えなかったということかもしれません)
それは『自分の人生』を放棄したことにほかなりません。おそらく彼女は、「今生きている」と言う感覚も希薄になっているのではないでしょうか。それは自分の人生ながらも、自分の人生ではありません。
「憎しみ」に乗っ取られてしまっている、いわば「借り物」の人生なのです。
『過去にとらわれる』恐ろしさが、多少は伝わったでしょうか。
参考・・・「心配性を治す本」、「くよくよするなと言われてもくよくよしてしまうあなたに」