『平均』と言う"金型" | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

国民や生徒を型にはめるのは、国や学校の政策の可能性もあるんですけど、もしかすると日本人全体が、自分や他人を型にはめたがっている民族なのかもしれません。

言うまでもなく、神経質は「理想の自分」と言う型に自分を当てはめようとしています。もちろんそんなことは不可能なので、様々な齟齬が起きてしまうのです。

 

神経質でなくても、日本人全体が、「型にはまりたがっている」ような気がします。何の型かと言いますと、それは「平均」とか「普通」と言う金型なんですね。

私たちの人生行路には、何となく指標のようなものがありますよね。学校を出れば就職する。そして30代くらいで結婚し、子供を設ける。そして子育てをして50代で子供を世に送り出す。その後夫婦二人の生活になり、やがてどちらかが先立っていくのが80代。そんなレールのようなものがあるような気がします。レールは『普通』とか『平均』と読み替えられますね。

 

        画像 beveragemachine.jp  ペットボトルの金型

 

だから私たちはそのレールのようなものから逸脱するのを恐れるんです。自分は40なのにまだ独身だ。子供もまだだ。就職先が見つからない。もう自分は人生と言うレールから外れてしまったのではないかと不安になってしまいます。

私たちは無意識に「普通」とか「平均」と言う言葉を使います。では「普通」とは何でしょうか? 「平均」の中にいないことは悪いことですか?

実は「普通」も「平均」も、数字上のもので、まったく実体のないものなんです。

 

実体がないにもかかわらず、わが国にはこういうものがあふれています。平均結婚年齢だとか、平均出産数だとか、平均年収だとか、生まれた子供は平均10か月でつかまり立ちが出来るとか・・、何歳になるとIQの平均がこれくらいだとか・・

こういうデータを目の当たりにすると、どうしても比べてしまいます。そして自分が平均に入っていないようだと、何とか平均の中に自分を押し込めようと頑張るのです。

全く無駄な努力と言わざるを得ません。同じ努力をするなら、自分を楽しませる努力をしたいですよね。

 

参考・・・「不安の9割は消せる」、「あなたの人生を誰かと比べなくて良い」