昔の神経質者の会の文集を読んでいたら、こんな投稿がありました。投稿主は、当時高校生でした。
「私は性格も素直でなく、家庭環境に恵まれなかったので、ネクラな子供でした。在学中は、自分とよく似た性格の生徒が、クラス中のいじめに遭っているのを目の当たりにし、恐怖を感じました。絶対にあんなふうになりたくないと思いました。
画像 ac-illust.com 本音を出せない人
いろいろ考えた末、学校に行ったら何か面白いことを言って、みんなを笑わせてやろうと考えました。どんなことをすれば、みんなから「面白い奴だ」と言われるかと、いろいろプランを練り、シナリオを描き、リハーサルまでこなしました。
翌日学校で、前の晩に考えたことを実行し、予想通り「あいつは面白い奴だ」と言う評価を得ることができ、いじめも免れました。
しかし・・・
もう限界です。これ以上続けていく自信がありません。自分の素顔を隠して、仮面をかぶって生きていくことに疲れ果てました。もう、学校をやめようと思っています。」
いかがですか? とっても可哀そうだと思うでしょう? 結局この生徒は、森田理論を勉強して考え方を改め、何とか登校出来たようですが、若い身空で、本当の気持ちや感情を出せないで、いつも機嫌のよい自分を取り繕っている。ダサいとか、ネクラだとか言われて攻撃されるのを最も恐れているのです。だから本心を悟られないようひた隠しにして生きているのですね。
画像 pixta.jp 本音を隠す同僚たち
これが今の社会の生きづらさの原点だと思います。
喜怒哀楽を口にすると嫌われます。どんなにくだらないものでも、「結構なものですね」と言わなくてはなりません。
老人手帳の第一条に、
「愛される老人になりましょう」とあります。
絶対に怒らず、文句も言わず、いつもニコニコしていましょう。と言うのが理想的な老人なのだそう。「たがいに褒め合いましょう」なんて言うのもあるそうです。
これは言うまでもなく「富国強兵」政策の名残でしょう。
国や企業を成長させるためには、従順なエリート社員を大量生産しなければなりません。そのためには自分の感情を出さない生徒こそ、「理想的な生徒」、「望ましい国民像」なるわけです。「右向け右」の命令に従えないような自分勝手な人間がいては、生産力アップにつながらないのです。
いつまでわが国は、学校を「規格人間養成所」にするつもりなんでしょうか。個性が大切と言いながら・・・
参考・・・「あなたの人生を誰かと比べなくて良い」、「他力」