今をときめく女性誌の編集を担当していた彼女は、いつも非常に快活で、明るくて、もちろんファッションセンスも抜群でした。しかし、彼女は人知れず心療内科に通っていたのです。診断はパニック障害。時に救急車で運ばれたり、死ぬかと思うくらいの体験を何度もしてきたそうです。しかし周囲は彼女がそれほどの病気であることは、誰も気づかなかったのです。
画像 mental-health.org 神経症と森田療法
心に不自由さを抱えている人は、それを表に出すことが出来ません。一つは、健常者に苦しみを訴えても、わかってもらえないからです。「もっと気を大きく持ちなよ」なんて言われて、さらに傷ついてしまいます。心に不自由さを抱えている人は、自分は周りの人とは違うと考えています。正常か異常かと問われれば、自分は異常に入るのではないかと何となく恐怖しています。診断を受けることは「異常」の烙印を押されることと同義なので、医者に行けない人もいます。
いずれにせよ、周りの人たちには決してこのことを知られないようにします。もし知られてしまえば、この競争社会においてはハンディとなり、落ちこぼれてしまうからです。
だから努めて英語を習ったり、パソコンの勉強をしたり、なにがしかの資格を取ろうとしたり、もちろん、ファッションや美容にも気を使っています。少なくとも「正常」と呼ばれる人たちに交じって、自らの本性を隠し、彼らに遅れじと生きて行こうと懸命なのですね。
画像 hakkenkai.jp 神経症とは
しかし、このような生き方はある意味周りをだましていることになるので、何時そのウソがばれてしまうか、もしばれてしまったら、仲間外れになってしまうだろうし、下手をすればリストラされるかもしれません。いずれにせよ今までの努力が水の泡になってしまう。心が不自由な人は、そんな不安を常に抱えているのです。だからいつも明るく振る舞おうとしていますし、無理やりにでも「生き生き」と行動するように努力しているのです。いわば必死で自分を取り繕っているのです。
しかし、偽りの自分を演じるのにも限界があります。やがてストレスに耐えきれなくなって、心療内科などに駆け込むわけです。そして薬をいただいたり、先生のアドバイスなどを聞いたりするわけです。
しかしいつまでも普通の人のようにふるまうことが出来ないと、自分はダメ人間だ、生きている価値が無いとさえ、思い込むようになってしまいます。
病気と言えば病気、正常と言えば正常。神経質者の会を訪れる人の中には、このようなタイプが増えているような気がするのです。
参考・・・「不安の力」、「森田式生活法」