婦人の気持ちが安らいできたのは、おそらく心が流転して、悩みを突破できたからだと思うのです。私たちが悩んでいるときは、例えば「やるべきか」、「やらざるべきか」のように、二点を行ったり来たりする「ぐるぐる思考」で、心ががんじがらめになっている場合が多いんです。それをたとえばしなければならないことを思い切って実行したときとか、やらざるを得なくなってしまったときとかなどに、「ぐるぐる思考」が突破されて、心が流転し始めるんです。
彼女が悩まれているころは、心も体も重苦しく、食事もおいしくなかったのに、現在では何でもおいしく食べられるというのです。
そしてこんなことも言われました。
「神経質者の会の先輩の皆さんは、自分の悩みを通して学んだ人生の蓄積を、惜しげもなく人々に与えておられました。なのに自分は、自分の事だけにかまけて、生きていたのでした。だからこれからは、少しでも周りの人間を暖める役割を持ちたいと考えているのです。」
画像 lerye53.com ブータン山の教室 謙虚につつましく
先輩は言いました。
「私たちは、自分の事を少しでも立派に見てもらいたいと言う傾向があるものです。それが良いとか悪いとかではなく、ありのままに認めれば良いのです。そうすれば自然と恥ずかしくなりますよね。そうなれば人に言われずとも、おのずと謙虚になっていくものです。
これまでの様に『自分が・・自分が・・」のように、一人で責任を負おうとするのは、一見立派そうに見えますが、実は相当無理な話で、かなり傲慢で思い上がった態度に他ならないんです。」
私たちがこうして生きていられるのは、多くの人たちの支えがあり、他の動植物や、宇宙自然のおかげによるものなんですね。私たちは何もかも自分で作って生活しているわけではありません。
自分一人じゃ何もできないけれど、みんなのおかげにより、天地宇宙のおかげで生かさせていただいているのです。そういう敬虔で謙虚な気持ちを、忘れないようにしたいですね。
参考・・・「あるがままに生きる」、「心の再発見」