存在への迫害? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

「治りたくない」気持ちの説明として「クーラーのたとえ」を紹介しましたが、もちろんこれだけで説明がつくわけではありません。

複雑性PTSDでは、しばしば「心理的逆転」が起きて、「治る」事を拒否する場面が少なからずみられるそうです。

さらに、神経質者の会員が体験したこんな例もあるのです。症例は「うつ病」です。ただし重い内容なので、不安な方はスルーしてください。

 

          画像 mistory.jp  機能不全家族とは

 

M氏は40歳になる父親です。その朗らかさからは、かつて重度のウツにかかっていたとは、とても思えないのです。

彼が一歳ころ、急に父親に大きな声をかけられ、瞬間動きが止まってしまいました。「Mが石になった」と、家族が大笑いしました。3歳ころ、兄と絵を描いていたら、兄の絵は褒められたのに、M氏のは「何が描いてあるのかわからない」と言われたそうです。

 

M氏の父親はいつも酒を飲んでいました。母親が咎めるとテーブルをひっくり返したり、手あたり次第物を投げつけました。やがて父の眼が座ってくると、異様な殺気が漂いました。一触即発の危機が毎晩展開されたのです。

喧嘩が始まると、いつも仲裁役を演じました。本当は父親を憎んでいるのに、体裁の良いことを言って、その場を取り繕うとしました。

 

M氏は小学校に入りましたが、このような家庭環境のため、落ち着くことが出来ません。いつも先生から「落ち着きがない」と言われました。ある日テストで「0点」を取りました。父親からは「〇×テストで0点とは珍しい」とバカにされました。

それからは何とか親に褒められようと、良い点を取ろうと頑張りました。クラスで一番になれば、親も認めてくれると思い、学級委員長や児童会長にもなりました。

 

学校に居ても、母親が父親にいじめられているのではと気が気でなく、いつか父親に殺される。と言う観念が離れなくなりました。其れからは何から何まできちんと頭でまとめてからでないと、何もできなくなりました。強迫神経症です。

勉強しなければならないのに、勉強できない。彼は自ら椅子に体を縛り付けました。勉強さえできれば、社会からも親からも受け入れられる。彼はますます「いい子」を目指しました。

 

           画像 h-navi.jp 機能不全家族とは

 

M氏はそれでも何とか大学を卒業し、研修医になりました。しかし職場環境は厳しく、人間関係は悪くなるばかり。とうとう彼はトイレと休憩室を往復して時間をつぶすようになりました。いつも医学書の依存とか自殺のページを眺めていたそうです。

ある朝、症例検討会で自分が発表する日に、病院を逃げ出してしまったのです。彼は別の病院に勤務しますが、自分に自信が持てず、居場所もありません。彼は死に場所を求めて山に登りますが、死に切れません。当然病院もやめざるを得ませんでした。

 

母親に付き添われて精神科を訪れ、M氏は「うつ病」と診断されました。そして長い自宅療養が始まりました。さらに折を見てカウンセリングを受けるようになりました。

その数回目のカウンセリングの時、M氏はぽろっと言ったのです。

「俺、治りたくないんだ」

話を聴くと、「ウツになることで、両親に復讐してきたから」と言うのです。もし病気が治ってしまうと、長年の恨みが無になってしまうと考えていたようです。

 

ウツは治ってほしいけれど、復讐はやり遂げたいと言うことでしょうか。M氏にとっては、怨念をまとって自分を傷つけている方が、いわば「慣れ親しんだ環境」なんです。人は慣れ親しんだものから離されることを嫌います。「病気で両親に復讐していた」彼ですが、まさに病気こそが彼の「存在理由」だったのです。

 

参考・・・「そのままのあなたが素晴らしい」、「体験記シリーズ・ウツ病」