『不即不離』については、16日の記事でも書いています。ですが今回は、こんなところにも「不即不離」の考え方が使えるんですと言うお話です。
皆さんは会話をするとき、相手の眼をしっかり見てお話ししますか? それともなるべく視線を合わせないようにしていますか?
言うまでもなく私たちの世代は、相手の眼をしっかり見て話をするようしつけられましたよね。でも恥ずかしがり屋の私にとって、相手を顔を直視することは、ほとんど不可能でした。それで視線恐怖にもなってしまったんですが、何も必ずしも相手の眼や顔を見る必要はないんですね。
画像 きなこもちエクステンド 目を見て話せない心理
森田先生は、こんな風に言っています。
『人と話をするとき、「相手を見なくてはいけない」とか「見てはいけない」などと定めるはずのものではない。必ず相手の顔貌や挙動を見て、自分の話の駆け引きをしなければいけない。
つまり、人を顔を見なければならないけれども、直接見るの決まりが悪いから、自然に角度をそらし、他の物を見ているようなふりをする。
そして必要に応じて、チラチラと、その人の表情を盗み見るのである。これが普通の人の態度である。つまり「不即不離」で、どちらにもつかぬ態度である。
この時「はからう心」がなく、『自分は気の小さいものである」と言う素直な心である時のみ可能なことで、いうなれば視線恐怖も全治するのである。』
「つかず離れず」ではありませんが、「相手を見つめる」でもなく、かと言って、「目をそらす」でもない。ちょうど両者の中間に居て、相手の出方次第で、自分の話の流れ次第で、「見つめる」方に近づいたり、「そらす」方に近づいたりする。これが話すときの「不即不離」の極意でしょうか。
参考・・・「現代に生きる森田正馬の言葉」