『自利利他』の心・・① | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

神経質者は特にですが、相手に何かと求めるばかりで、自分の事はそっちのけである場合が多いのです。相手に対しては強い責任感だの打ち解けた関係などを要求するくせに、自分のことは全く振り返ろうとしないのです。

まさに、「もらうことばかり期待して、与えることを知らない」幼弱性そのものですよね。

 

  画像 みんなのキャリア相談室 思いやりの気持ちを持つために

 

神経質でなくても、相手に要求するばかりで、相手の事は考えない人たちが少なくないものです。このような人はいつも自分の事しか考えられません。そのくせ「分かってもらえるだろうか」、「認めてもらえるのだろうか」と、常に戦々恐々としているのです。こんな苦しみは苦しみが大きい割に、全く生産性のないものです。つまり、悩み苦しんだところで、どうにもなるものではないのです。

 

思い当たる人は、発想を180°変えた方が良いかもしれません。

つまり、「どうしたらわかってもらえるのか」と言う悩みを、「どうしたら、わかってあげられるのか」にするのです。

「どうしたら認めてもらえるのか」と言う悩みを、「どうしたら相手や周りに喜んでもらえるのか」にするのです。

 

私たちの悩みには不思議な性質があります。すなわち相手のことで悩んでいると、いつの間にか自分の悩みがどうでも良くなってくるんです。そして、人間関係も知らないうちに好転してくるものなんです。不思議ですよね。自分の悩み苦しみを何とかしようと頑張っているうちは、苦しみは強化されることはあれど、無くなることはありません。しかし悩みの対象を相手に振り向けるだけで、自分の悩みは雲散霧消してしまうのです。

 

           画像 ホットヒント 人のために尽くす

 

あの松下幸之助氏は、

「あなたが世の中に提供した価値の、1/10が返ってくる」と述べています。私たちは常にこのような謙虚な心でありたいですよね。少しでも謙虚さが失われると、傲慢な私たちは、途端に自分の事を優先して考えるようになってしまうのです。

そうなるとどんなに名案が浮かんだとしても、相手の時間や気持ちをこちらに引っ張り込むことになってしまうので、相手は面白いはずはありません。

 

『~してほしい』と言う発想はこのさい横に置き、「どうしたら相手や周りが喜ぶだろうか」と言うことに特化して、努力していただいたらどうでしょうか。

このような生き方を「自利利他」と言います。他人の幸せを願えば(利他)、自分も幸せになる(自利)と言う考え方です。

他人に親切にすれば、自分に返ってくるのではありません。他人も生かし、自分も生かす方法なんです。

 

参考・・・『人はなぜ対人関係に悩むのか』、「とどろきクラブメルマガ」