「型にはめたがる」人? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

「森田的な生き方」って、どういう生き方ですか?

神経質者の会の中で、よく出る質問です。ですがこの質問には答えられないのです。なぜならこれが「森田的生き方」の王道ですよ。とは答えられないからです。

 

           画像 PIXTA 当てはめるイラスト

 

神経質者は、何でも型にはめたがります。「森田的生き方」があることを知って、ならば自分も「森田的生き方」をしてみたいと思うのでしょう。それは良いのですが、おそらく上記の質問者は、「森田的生き方」なるものに、自分の生き方を当てはめようとしている可能性が高いのです。結局悪い考え方の癖は治っていないのですね。

 

「かくあるべし」と言うのも然りです。自分の理想とする価値観などに、自分を当てはめようとしているのです。昨日も触れたように、神経質者は何でも理想を立ててそこからスタートしようとするために、あちこちで現実との齟齬が起き、結局迷いの泥沼に入ってしまうんです。

 

森田先生は、そんなクソみたいな理想像なんか無くしてしまえ! と言っているんです。

例えばこれをやると得だとか損だとか、世間体が良いとか悪いとか、成長できるとか進歩できるとか、・・そんなことにはこだわりなさんな、と言っているのです。

 

        画像 イラストバンク 型にはめられた子供

 

自分の生き方まで型にはめようとするのは異常です。それだけ自分に自信がないのか、理想像に縛られ過ぎているのか、人の言うことに従っていれば楽なのか、それはわかりませんが、自分の生き方くらいは自分で決めなさいと言いたいですよね。ちなみに「森田的生き方」とは、昨日も触れましたが、

「ただ、生きる」と言うことです。「何のため」ではなく、「生きる」ために「生きる」のでもなく、「ただ、生きる」んです。

 

価値観にとらわれまくった神経質者に対し、森田先生が放った痛快な一撃は、「価値観の没却」です。価値観を手放して「ただ生きる」態度になれば、おのずと無理のない人生を歩めるのです。

「価値観の没却」を別の言葉で言うと、「価値観にこだわらない」。「価値観にとらわれない」と言うことになります。さらにこの生き方は「なりきる」生き方でもあるのですね。

 

参考・・・「悩むあなたのままでいい」、「そのままのあなたですべてよし」