以前に、「傷つけられた人は多いのに、傷つけた人はいない」ことについて書いてみました。前回は加害者の「無関心」に焦点を合わせましたが、実は被害者側にも原因があるのです。それは「ナルシシズム」と呼ばれる心のからくりです。
『自分は優しい人間だ。そんな自分が人に危害を加えたりするはずがない。悪いのはすべて相手である』と言う考え方です。
画像 いらすとや アドバイスする人
このような考え方の人かひとたび落ち込むと、あたかも自分だけが傷つき、自分だけが寂しく、自分だけが慰めてもらえず、自分だけが貧乏くじを引いている。と言うことになってしまいます。そしてあらぬ「被害者意識」にはまり込んでしまうのです。
Aさんは幸せな結婚をしたかに見えましたが、ある日夫の不倫に気づいてしまいました。それまでAさんは、不倫に悩むなんて他人事、そんな男に引っかかるなんてどうかしている、と思っていました。しかし、今度は自分が「どうかしている」方に回ってしまったのです。
当然Aさんは夫に対して恨みと怒り、被害者意識で復讐心に燃え上がりました。彼女はどうしてよいかパニックになってしまったのです。
それからしばらくして、職場の後輩が彼女に相談に来ました。後輩もまた、男に裏切られたのだそうです。そこでAさんは後輩にアドバイスをしたのです。
「どのみち離れていく人は離れていくのよ。一人不幸をかみしめていたって、損するだけ。あなたもこれ以上時間を無駄にしない方がいいわ」
非常に的確なアドバイスを与えたAさんは、実はそんな自分に驚いていました。なぜ他人には合理的なアドバイスが出来るのに、なぜ自分にはできなかったのでしょう。
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Aさんは言います。「もし後輩にしたようなアドバイスが自分にもできたら、あんな過酷な試練にも耐えられたでしょうに。・・・」
なぜ、私たちは自分自身にアドバイスが出来ないのでしょうか。
私たちが他人にアドバイスできるのは、其の問題を一般的な出来事としてとらえているからです。しかし、自分の問題に関しては客観的に見られないので、一般化もできないのです。
Aさんは自分を苦しめた相手に復讐しようとしました。なぜそこまで激昂してしまったのでしょうか?
それは一般的な出来事ではなく、他人事と思っていたものが『自分に起きてしまったという特別さ、理不尽さ』からなんです。自分は優しい人間なのだから、他人はともかく、自分の人生では決して起こるはずがないという確信に満ちた「思い込み」が裏切られてしまったからなんです。
参考・・・「言いたいことを言ったのに、うまくいった」、「心の処方箋」