防衛機制(昇華・補償)とは?・・④ | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

そろそろこのシリーズも飽きてきたころでしょうか。でもまだまだ続きますよ(笑)。本日はちょっと趣向を変えて、比較的レアなものをご紹介いたしましょう。

今日紹介するのは「昇華」「補償」です。あまり聞きませんよね。でもとっても大切な防衛機制なんですよ。

で、何がレアかと言うと、今まで紹介してきたものは、どちらかと言うと心にあまり良い影響を与えないもの、将来的にウツとか神経症になりやすい下地を作るものと言う、マイナスイメージが先行しましたが、今回の二つは、むしろ「望ましい」と言うか「好ましい」変化を心に生じさせることが、レアなんですよ。

 

 

ではまず「昇華」から見てみましょう。

おそらく皆さんは「昇華」と言う言葉を化学の授業で聞いたのではないでしょうか。固体や気体が、液体の状態を経ることなく、変化していく様子を表したものですね。

でもその「昇華」とは、何の関係もありません。

心理学でいう「昇華」は、社会的に実現不可能な欲求、あるいは目標や葛藤、例えば反社会的なものですね。それを何か別こより高度で社会的にも認められるような目標に変換し、その実現によって自分の欲求を満たそうというものです。

例えば反社会的行動欲求を、学問やスポーツなどで実現しようとすることです。一般的に「昇華」は成熟した防衛だと言われています。

 

例えば『人を殴りたい』と言う欲求を持った人が、そのまま欲求のままに町中の人を殴ってしまえば、当然犯罪になりますよね。

でも、ボクシングクラブが何かに入って、ルールにのっとって相手を殴る分には、それはスポーツとして認められます。

 

 

一時、白血病の少女が絵本を自費出版して話題になりました。それと同様に病気になった少年が、自分の病気に対する思いなどを一冊の闘病記にして発行し、それが社会的にも大きな反響を呼んだという話がありました。きっとこの本によって勇気づけられた人も多いのではと思います。これも立派な「昇華」ですよね。

嫌いな人への反抗心を原動力にして、勉強や仕事を頑張ること、あるいは社会に対する反骨心を、歌やアートで表現する。なども「昇華」に入ると思います。

 

次に「補償」です。

字面通りの解釈ですと、「補って償う」と言う意味になります。

もっと正確に言いますと、物事の欠けている部分を補い、修正をする意味になります。皆さんは法律用語として「補償」と言う言葉を聞いたかもしれませんね。

もちろん法律用語でもありますが、同時に防衛機制を表す心理学用語でもあるのです。

心理学における「補償」とは、自分に不足しているものを、別のもので埋め合わせしようとするものです。たとえば勉強が出来なくて、いつも劣等感にさいなまれている子供が、勉強では太刀打ちできないので、スポーツの分野でみんなを見返してやろうと、頑張ることです。その際本人がスポーツが好きであるとは限りません。

 

 

「補償」と言う言葉を自らの理論に使った創始者は三人います。一人はアドラー、そしてユングとピアジェです。

今回はアドラーのそれを紹介しましょう。

個人心理学を創設したアドラーは、人は劣等感を克服しようとして、完全な自分になろうとする強い欲求を持っていると考えました。そこで「自分が人より劣っていると思うところを何とか克服しようと努力すること」を「補償」と呼びました。

 

まもなくパラリンピックが始まりますが、選手たちは身体は不自由でも優れた運動能力を持っていますよね。むしろ身体的に問題のない人よりも運動機能が優れているのはなぜでしょう。それは完全でない自分に強い劣等感を抱き、何とかこれを克服しようという強い意志のもとで、人一倍努力を続けるからなんです。

もちろん身体障碍以外の劣等感でも同様です。このように「補償」は自己向上に強い影響を与えるものなので、過剰に働くと、神経症に陥る可能性もあるのです。強すぎる「補償」は、人の心の中にある「優越性」への過剰な追及が原因であるとアドラーは説いています。

「優越性への欲求」は私たちの心に強い補償を要求します。だけど「ほどほどに」と言うところですかね。

 

参考・・・「アドラー心理学入門」、「共感の技術」