思春期から青年期・・③ | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

「心理療法と子育て」シリーズは、いったん終了します。また今月下旬ごろ続きを再開したいと思います。

 

カウンセラーのM氏は、県内各地で「子育て支援」講座を開いています。そんな中で思春期の特徴について話したところ、「うちの子と同じだわ」と言って、母親がお話をしてくれました。

母にとって中1のA子は、だれよりもかわいい子供でした。しかし夏休みも終わるころ、何かにつけて母親の揚げ足を取るようになりました。

会話の中で「学校どうだった?」と聞こうものなら、「別に!」を連発するばかり。

それでもしつこく尋ねると、「何で教えなきゃいけないわけ?」と反発し、「親だから知りたいの!」と返せば、「どうして知りたいわけ?」と追い打ちをかけてきます。あくまで理屈で対抗しようという姿勢のようです。

 

 

ある時、「揚げ足取らないで」とたしなめたところ、「揚げ足ってどんな足? 見せてよね」と反論してきました。

思考力が急激に発達したのでしょう。親の在り方を批判し、「もう自分は子供ではない」姿を認めさせたいのか、わざと難しい言葉を使ったりします。

そうかと思うと、テストが出来ないときや、先生に叱られた日は母の膝に乗って甘え、夜は母親のベッドに滑り込んできます。時に自己主張し、時に甘える姿に戸惑うこともしょっちゅうのようです。

「今日先生が話された、『依存ー自立葛藤』とは、こんな子供の姿を言うのでしょうか?」

何があってもA子は可愛い。母は心から嬉しそうでした。

 

B子は、小学校の時の記憶が抜け落ちています。いいえ、少し思い出せることもあるんです。確か、私はお母さんを殴っていた・・・

自分は学校に行けませんでした。友人がいじめられていて、止めに入ったら、「あんた! どっちの味方?」と聞かれたが、どうしても「いじめられっ子の味方」とは言えませんでした。

私がみんな悪いんだ。・・・

真夜中、母親に向かって「おにぎり買ってこい!」と命令したことがあった。母親がおにぎりを買ってくると、「もういらねぇ!」

母親を試していたのかもしれない。

こんな私を母親は嫌っているのだろうか。それが知りたかった。

 

 

こんな記憶もある。

明け方、母親が自分の部屋に入ってきました。そして言いました。

「私がわかってあげられないから、殴るんだね。・・・ごめんね」

本当は悪いのは自分なんだ。母は本当は自分を愛してくれていたんだ。

けれど母親は家を出ました。

もし自分のせいならば、私が母親の代わりをしよう。父親の弁当を作り、懸命に家事もこなした。主婦ってつくづく大変だと思った。

母はこんな思いをして、私を育ててくれたんだ。

そういえば小さいころ、私が川でおぼれそうになった時、救い出された私を抱きしめて「よかった・・・本当に良かったね」と言ってくれたね。

 

こんなにも私を愛してくれている人がいるんだ。

「私は愛されている」

と確信を得たとき、私は学校に再び行く勇気を得たのです。

振り返ったら。母がいた。

どんな人にも、支えとしての「親」がいつも見守っているんですね。