「心理療法と子育て」シリーズは、いったん終了します。また今月下旬ごろ続きを再開したいと思います。
カウンセラーのM氏は、県内各地で「子育て支援」講座を開いています。そんな中で思春期の特徴について話したところ、「うちの子と同じだわ」と言って、母親がお話をしてくれました。
母にとって中1のA子は、だれよりもかわいい子供でした。しかし夏休みも終わるころ、何かにつけて母親の揚げ足を取るようになりました。
会話の中で「学校どうだった?」と聞こうものなら、「別に!」を連発するばかり。
それでもしつこく尋ねると、「何で教えなきゃいけないわけ?」と反発し、「親だから知りたいの!」と返せば、「どうして知りたいわけ?」と追い打ちをかけてきます。あくまで理屈で対抗しようという姿勢のようです。
ある時、「揚げ足取らないで」とたしなめたところ、「揚げ足ってどんな足? 見せてよね」と反論してきました。
思考力が急激に発達したのでしょう。親の在り方を批判し、「もう自分は子供ではない」姿を認めさせたいのか、わざと難しい言葉を使ったりします。
そうかと思うと、テストが出来ないときや、先生に叱られた日は母の膝に乗って甘え、夜は母親のベッドに滑り込んできます。時に自己主張し、時に甘える姿に戸惑うこともしょっちゅうのようです。
「今日先生が話された、『依存ー自立葛藤』とは、こんな子供の姿を言うのでしょうか?」
何があってもA子は可愛い。母は心から嬉しそうでした。
B子は、小学校の時の記憶が抜け落ちています。いいえ、少し思い出せることもあるんです。確か、私はお母さんを殴っていた・・・
自分は学校に行けませんでした。友人がいじめられていて、止めに入ったら、「あんた! どっちの味方?」と聞かれたが、どうしても「いじめられっ子の味方」とは言えませんでした。
私がみんな悪いんだ。・・・
真夜中、母親に向かって「おにぎり買ってこい!」と命令したことがあった。母親がおにぎりを買ってくると、「もういらねぇ!」
母親を試していたのかもしれない。
こんな私を母親は嫌っているのだろうか。それが知りたかった。
こんな記憶もある。
明け方、母親が自分の部屋に入ってきました。そして言いました。
「私がわかってあげられないから、殴るんだね。・・・ごめんね」
本当は悪いのは自分なんだ。母は本当は自分を愛してくれていたんだ。
けれど母親は家を出ました。
もし自分のせいならば、私が母親の代わりをしよう。父親の弁当を作り、懸命に家事もこなした。主婦ってつくづく大変だと思った。
母はこんな思いをして、私を育ててくれたんだ。
そういえば小さいころ、私が川でおぼれそうになった時、救い出された私を抱きしめて「よかった・・・本当に良かったね」と言ってくれたね。
こんなにも私を愛してくれている人がいるんだ。
「私は愛されている」
と確信を得たとき、私は学校に再び行く勇気を得たのです。
振り返ったら。母がいた。
どんな人にも、支えとしての「親」がいつも見守っているんですね。