精神的に健康とはどういうことか。
森田療法の考え方に沿って考えて行きます。
まず最初に言えること、第一条件ともいえるでしょう。それは・・
「続けられること」です。
何を?
建設的な行動、ないしは作業です。自分のためだけでなく、人様のために役に立つようなことを、継続してやれる力です。
例えば仕事です。例えば家事です。
あくまで「継続してたゆまずやっていくことができる」と言うのが条件です。「ときどきやる」と言うのはダメです。
何が言いたいか。
要するに、怠け者は精神的に不健康であるということです。
建設的な作業が続けられるということには、相当の忍耐力も必要ですし、積極的な活動意欲も必要になります。
ではなぜ、建設的なことをするのが精神的に健康かと言うと、私たちは一人で生きているのではありませんね。
必ず周囲との関連性の中で、生かされているわけです。具体的に言えば、自分の着ているもの、食べるもの、あるいは住む家、こういったものは自分で作ったものではありません。みんな他人が作ってくれたものです。
もちろん「もの」だけではありません。
私たちが困ったときには、周囲が助けてくれます。他人が困っているときには、手を差し伸べてあげられるでしょう。そういうものまで含めると、私たちは他人とともに生かされていると言っても過言ではありません。
私たちはみんな人様のお世話になりながら、生きているのです。だから自分もまた、人のために貢献していくのです。
これが一人前の人間の最低条件です。
したがってこれができない人間は、精神的に健康だとは言えないのですね。もちろん病気があったり、障害があって出来ないのは、仕方のないことです。
以前、このブログでこんなことを書きました。
私たちはいつの間にか「ただ、働く」と言うことができなくなりました。
「ただ、働く」とは、もちろんただ働きの事ではありません。
「働きたいから働く」
と言う姿勢です。現代の私たちは「働く」ことが「手段」になっています。すなわち「お金をためるために」、「人から認められるために」、「肩書が欲しいために」、「症状から逃れるために」、「居場所が欲しいから」・・働くという構図になっているのです。
従って働くことは「仕方なくやるもの」、「できれば避けたいもの、やりたくないもの」に成り下がってしまっているのです。
私たちはいつの間にか「怠け者」になってしまったのでしょうか。
こんな状態では精神的に健康とは言えません。
働くこととか仕事と言うものは、本来私たちにとって「手段」ではありません。本来は「働きたい」ものなんです。「働かずにはおれない」存在なのです。その証拠に健康な人を何もできない部屋に閉じ込めておくと、非常に退屈し、早く体を動かして働きたくなるものなんです。
動物でも駆け回ることに喜びを感じると言われています。人はそれと同じように、自主的に働くことに喜びを感じるものです。
したがって「やりたいからやる」のが仕事の本当のありようだと思うのです。そこに森田で言う「自分の生命力や力量を発揮できる」喜びが感じられるのです。
それもこれも、「精神的に健康」であるからこそですね。
参考・・・「慎重で大胆な生き方」