私たちの感じるストレスのおよそ半分、47%は心が過去や未来を迷走しているために起きると言われています。これを「マインド・ワンダリング」と言いました。
ですので心がなるべく迷走しないようにすることが、有効なストレス防止につながるのですね。でも、そんなこと言われてもどうしてよいかわからない。と言うのが現状でしょう。
そこで今回と次回で、「今、ここ」の自分に集中出来る方法を、皆さんと考えていきたいと思うんです。
本日は、皆様も良くご存じの「マインドフルネス瞑想法」をご紹介いたします。
「マインドフルネス」とは、端的に言うと、「今の瞬間の現実に常に気づきや意識を向け、その現実をあるがままに知覚し、それに対する感情や思考にはとらわれないでいる心の持ち方、存在のあり様。」
と言うことになります。
口で言うのは簡単ですが、実際にやってみると、これが難しいんですね。
通常私たちが対象を知覚する際は、ほぼ自動的に評価を下したり、判断したり解釈したする思考が起こります。さらに好き嫌いなどの感情も加わった形での認識が成立しています。しかもこれらの解釈や評価や、判断のほとんどが、個人的文化的、あるいは集団的なバイアスがかけられているために、現実をあるがままに知覚することは非常に難しいのですね。
つまり私たちが通常考えている思考や感情は、現実の自分のものではなく、心の中の一過性の出来事にすぎないことになるのです。このような「雑念」が自分と対象の間に割り込んでくるために、対象を如実にあるがままに知覚できなくなり、限りない苦しみやストレスを生む原因になっているのです。
「マインドフルネス」の大元をたどっていくと、
お釈迦様が説いた根本経典の一つ「呼吸による気づきと教え」に由来すると言われています。
詳細は省きますが、この経典の示す最終目的は、なんと『自分探し』なのです。
ここで言う『自分』とは、ずっと変わらず存在していて、思い通りにコントロールできて、常に意識に満足を与えてくれる拠り所になるようなものなんです。もしそんな自分を現代人が持つことができたなら、どんなに綿たちは幸せに、充実して生きて行けるかわかりません。
つまりは幸せになるためです。そのために『自分』と思えるようなものを、ひとつづつ詳しく観察して確認していくのです。しかしこれを忠実に遂行していくと、理解出来てくることがあるのです。
それは体も、五感も、思考も、感情も、そのどこを探してみても、先ほどの条件を満たす「自分」は見つからないということなのです。
では、私たちは永遠に幸せになれないのでしょうか。
もう少し深く理解してみます
お釈迦様はその経典の中で、すべての私的出来事外的出来事は、常に変わり続けていく一過性のものにすぎない(無常観)、このような一過性のものに執着すると、失望を繰り返す事になる(苦しみ)、つまり、不変のものなどどこにも存在しない(無我)、と言う厳然たる事実を、マインドフルに観察することが目標であると説いているのです。つまり、お釈迦様曰く、自分探しのゴールは、『自分はどこにもない』と言う事実、それを徹底して知ること。なんですね。
それでは簡単にやり方を説明します。
座って行う場合、座禅の時のように体の力を抜き、背筋を伸ばし座ります。(正座でも椅子でも良し)そして呼吸に伴う体の変化や動きに気づきを向けます。
呼吸はあくまで「ゆっくり」です。なるべく意識でコントロールしないように。深く吸いたい場合はそうする、浅くしたい場合はそうすることです。つまり、「呼吸の事は呼吸に任せる」感覚です。
そしお腹や胸に気持ちや意識を向けた場合、息を吸うときは「膨らむ、膨らむ」。息を吐くときは「縮む、縮む」と言う風に体の感覚をそのまま感じるようにするのです。
このように続けて行くと、すぐに何かを考えている自分に気づきます。そうしたら「雑念、雑念」と数回唱え(ラベリングと言います)、さらに「戻ります」と言って呼吸に伴う身体感覚に意識を戻します。あるいはどこかに痛みを感じたら、「痛み、痛み、・・・戻ります」とします。
しばらくすると、また雑念を考えています。これに気づかない場合もあるでしょう。
「あいつ、俺を出し抜いて余計なことをしやがって」とか、
「ああ、昼にラーメン食べるのやめときゃよかったなぁ」とか考え始めてしまったかもしれません。こういう場合は気づいた時点で「怒り、怒り、怒り、」、「欲、欲、欲」と言う風にラベリングしていくようにします。
この「ラベリング」という作業がいちいち意識せずともできるようになれば、自然に雑念に気づき、そっと呼吸に戻ることができるようになります。またそれに伴って雑念が自然に消滅していく過程も理解できるようになってきます。
けれど雑念は次々出てきます。あちらこちら痛くなったり、かゆくなったりします。さらに感情も動いたりします。これは仕方のないこととして、気づいた時点でそっと呼吸に戻るように習慣づけておけば、それ以上雑念が強くなることはなくなります。あるいは何もせずとも自然に消えていくものなんです。
とある脳科学者の研究によると、この瞑想法を実践しているものは、背内側前頭前野は厚みを増しているものの、右側頭頭頂連結部には変化が見られないことを発見しました。
この研究結果から脳科学者は、マインドフルネス瞑想とは、
『自分の心の動きを、他人事のように眺める練習』
であると結論付けています。さらにこれは「概念としての自分ではなく、過程としての自分を鍛える方法である」とも言っているのです。
つまり二千数百年前、お釈迦様が目指したものは、概念としての自己(自分はこうあるべきと言う思い、自己イメージ、)などを手放し、過程としての自己を強化することであったことが、現代の脳科学研究からも裏付けられたのです。
お釈迦さまって、やっぱりすごい人ですね。
参考・・・「マインドフルネスからACTへ」