四つのプロセス | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

私たちは苦悩の体験に直面すると、これにとらわれ、これを何とかしようと悪戦苦闘します。これを『悪循環』とします。しかしこの努力はやがて袋小路に追い込まれ、『行き詰まり』ます。

やがてこれらの苦悩を事実として認め、受容出来るようになります。『諦め』。こうして人は、ここから初めて、その日と固有の生き方を選択するようになるのです。『固有の生』

これらの『悪循環』、『行き詰まり』、『諦め』、『固有の生』のプロセスは、繰り返されながら、螺旋形に進行していきます。

 

 

『悲痛の体験』や『喪失の事実』などを、苦悩のどん底でそのまま受容すること、つまり、『仕方が無いなぁ』と受け入れるところから、もう一つの生のあり方が見えてくるのです。

人は『生老病死』にまつわる苦しみ、恐怖や喪失などの体験を事実として認め、諦めるところから、生きる欲望を自覚する事が出来るのです。喪失を受け入れることが、新たな生成を準備し、固有の生の営みが実現するのです。

 

昨日上げたAさんの事例は、神経質症状とがんと言う、二重の苦悩を負った体験談であります。これまでガンなどの重病は、神経質症状を悪化させると言われてきましたが、Aさんの例に見られるように、実際に症状の悪化と結びつく事はありませんでした。むしろガンが神経質症状の回復を準備し、終息させてしまったのです。

Aさんが神経質症状とがんと言う、二重の苦しみから回復できたのは、彼女が森田を学び、それを自らの生きる智慧として、深化させていったからでしょう。ここにがん患者の苦悩に対しても、森田療法が持ちえる可能性が見て取れますね。

 

がんと言う病気が、Aさんの人生の意味づけに大きな変更をもたらしたことは言うまでもありません。ガンが不治の病の時代であっても、そしてかなりの程度治療が可能になった現代でも、がんと言う病がその隠喩として『手の施しようが無いほど、徹底的に悪者である』といった使われ方をされてきました。

つまりがん患者は『徹底的に悪者』の出現により、自己の存在が揺さぶられるにとどまらず、自分の生活や人生までも変更を余儀なくされてしまいます。

けれどこれらが持たらす意味は、決してネガテイブなものばかりでは無いのです。

 

 

Aさんが体験したように、病を事実として受け入れ、自らの人生の一部として引き受けたとき、そのプロセス自体が人生の新たな進展に本質的な役割を果たすのです。

とはいえ、これらが極めて困難な作業である事は、私たちが一番良く知っています。

突然現れた危機を前に、人生に新たな意味を見出し、主体的に自己を変容させていくには、次の要素が必須となってきます。

それは、語ることを通して事実を知り、受容する過程です。

『語る』事には、グループワークの他に、日記や手紙を書くことも含まれます。心の内面を言葉にするという行為は、私たちを癒し、治して行く力があるのです。

 

私たちが死や病に直面すると、しばしば『どん底』体験を味わいます。

この『どん底』体験が、世の中や苦悩は『自分ではどうすることもできないもの』と言う自覚をもたらします。

やがて、さまざまな苦悩はたった一人の自分が受け入れるしかない、と言う事実を、頭ではなく情緒的レベルで深く認識できるようになると同時に、少なからぬ人々は、自己の存在を神や自然といった超越的な他者に委ねるようになります。

 

自己の力では解決できない事態があると言う、無力体験とその認識が、逆に生きる欲望を賦活させ、そこから新たな回復の物語が始まるのです。

これらの悲痛な体験、喪失の事実を『どん底』としてそのまま認めること、つまり『仕方の無いこと』として受け入れるところから、もう一つの生のあり方が見えてくるのです。

森田正馬の結論である『死は恐れざるを得ず』

死の恐怖をそのまま受け入れたとき、もう一つの結論、『欲望はこれをあきらめる事が出来ぬ』と言う事実に気づくのです。

これはがん患者のスピリチュアルケアのプロセスに通底しています。

 

参考・・・『グリーフケアの全て』、『がんと言う病を生きる』