二度目の失敗? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

神経質症の人は、失敗すると落ち込みます。

え・・・?  普通の人だって失敗すれば落ち込むでしょ?

いえいえ、それだけではないのです。

落ち込んだ後、生活全体が後退してしまうんです。普通の人はよほどのことでない限り、生活自体には影響しませんよね。

 

生活全体が後退してしまうとは、平たく言うと、何もする気がなくなってしまうことです。サラリーマンなら会社にいけなくなる、外出も億劫になる、さらに着替えもしないヒゲも剃らないといった状態になってしまいます。もちろん全員ではないですけどね。

これは、神経質者にとって最も危惧すべき状態なんです。

 

 

なぜかと言うと、神経質になるような人は、行動を起こす前にあれこれ考えてしまいますよね。取り越し苦労の名人です。しかも、どんなことでも良くない方に、悪い方に考えてしまうのです。このような無駄な思考を断ち切るのは行動しかありません。しかし上記のように何もしない状況になってきますと、無駄な考えはとどまるところを知りません。

神経質症の苦しみは深まるばかりになるのです。

 

だから神経質者は昔から『暇を作るな』と言われているんです。暇が有るとろくな事を考えないからです。

では、なぜ生活全体が後退するまで、落ち込んでしまうのでしょうか。いくつか理由は考えられますが、今回は敢えて一つに絞って説明しましょう。

神経質者が必要以上に失敗を恐れる理由、それは・・・

 

『絶対に失敗してはいけない』、

『絶対に失敗は許されない』

と言う思い込みが有るからです。なぜ、このように思い込んでしまうのか。理想が高すぎるからです。昨日も指摘したように神経質者は劣等感の裏返しで、自分をスーパーマンのように完璧な人間だと思い込みたがる傾向が強いのです。

つまり、スーパーマンで有るはずの私が、失敗なんてあり得ない。と考えてしまいます。だから余計失敗が恐ろしくなるのです。

 

要するに、『思い上がり』です。誰だって難しい課題に挑戦すれば、失敗することもあるはずです。ですがそんな失敗も許されないような自分って、いったい何者なんですか?

どなたかの言葉かは忘れてしまいましたが、『最大の失敗は、失敗を恐れて何もしないことで有る』とありました。まさに神経質者の悪癖をつストレートに突いていますよね。

 

失敗はつき物です。

大切なのは失敗しないことではなく、失敗から何を学び取るかと言うことでしょう。それには失敗を素直に認める謙虚な心が不可欠です。さらに、例え結果が失敗であっても、どれだけ自分が努力できたのか、それが満足できるものであったなら、それで良しとする気持ちの余裕も大切ですよね。

神経質者は自己内省性が非常に強い性格です。失敗したときこそ、私達に備わっている自己内省性質をフルに活用するべきです。

 

人は誰でも何らかの失敗は経験するものです。ですが、この『誰でも』の中に自分は入っていないと思っているのが神経質者です。

『あの時ああしておけばよかった・・』

『なぜ。あの時あんなことを言ってしまったのだろう・・』

過去の失敗をいつまでも愚痴っている人も、神経質者同様、『誰でも』の意味が理解されていないのかもしれません。

 

 

失敗を悔やみ、落ち込んだ気分になる事ほど、もったいない時間のすごし方は無いでしょう。自分もイヤな気持ちになるし、それを聞かされる周りの人間の気持ちも、落ち込ませてしまいます。

このような無駄な時間を費やす事を、『二度目の失敗』と言います。

最初の失敗は仕方の無いことです、それをいつまでも嘆き悲しみ、具体的な努力に結び付けないことが『二度目の失敗』であり、これがますます私達の人生を面白みの無いものにしているのです。

 

このような人は先にも述べたように、自分はスーパーマンであり、成功して当たり前の人間だと言う思い上がりの心が見え隠れしています。だから勘の良い人は、『二度目の失敗』を繰り返す人から少しずつ離れていってしまうのですね。

失敗するのは挑戦した証です。失敗したことを素直に認め、失敗を失敗のままで終わらせないと言う気概と向上心が、何より自分を鍛えてくれると思うのです。