前回は、自己受容が出来ていないと、他者からの承認欲求ばかりが肥大してしまうと言った話しをしました。
自分が自信を持ち、満足感を得、あるいは達成感を感じ、やる気を維持するには、他者から認められることや、賞賛が必須である。と言う誤った認識を持ってしまうのです。
最近は、この手の人が増えているように思えて仕方がないのです。
そういえば私達の日常においても、いろいろなところから、
『世間様に恥ずかしくないように・・』
『流行に乗り遅れないように・・』
『仲間はずれにならないように・・』
と言ったプレッシャーが掛けられています。自己肯定感の低くない人でも、あちこちから言われているうち、他人や世間に認められることが、即幸せであるかのような錯覚を起させてしまいます。
しかし、世間や他人の考え方は、実に移ろいやすいものです。自分の幸せと言う大切な価値観を、他人に預けてしまうことは、自分を肯定できるかどうかと言う非常に重要な問題までも、他者に下駄を預けてしまうことになりかねません。仮にあなたが努力して一定の結果を出したとしても、他者が認めてくれるかどうかはわかりません。むしろあなたの栄光を快く思わない人も、いるかもしれません。
これで幸せになれると思いますか?
実は、他者の承認は非常に移ろいやすいと言うことから、もう一つ、非常に重要な問題があぶりだされてくるのです。
いうまでもなく、私の心のうちは、あなたには見えません。
あなたが心の中でどんなことを考えていようが、私にはわかりません。
何か客観的な指標はないでしょうか。
それが有るのです。
『結果』と言うものです。
これは他者も自分も知ることが出来る唯一つのものです。
『大学に合格した!』
『スポーツ大会で優勝できた!』
『部長に昇格できた!』
どのようなものであれ、『結果』は誰よりも雄弁に、その人のすばらしさ、頑張りようを表現してくれるのです。
他者承認欲求が肥大している人が、これを見逃すはずがありません。
とにかく『結果』を出すことだ。
『結果』を出せば、皆が自分を認めてくれる。
『結果』を出せば、皆が『すごいね!』と言ってくれる。
そう、『結果』さえ出せば、自分の幸せは保証されるんだぁ・・・
こうして承認欲求の肥大した人は、ひたすら『結果』だけを追い求めます。
もちろん、『結果』を出すために努力を惜しまないのであれば、何も言うことはありません。ただし、他者からの承認のみ追い求める人は、、人知れず努力する事は、ムダ以外の何者でもないのです。
とにかく褒められたいのです。
とにかく認められたいんです。
だから『結果』だけが得られればそれで大満足なんです。
こんなことで本当に幸せになれるのでしょうか。
結果は次々回で。
(明日は忘年会があり、更新できるかどうかわからないため)
参考・・・『本当の自分を受け入れる』、『自己肯定感の高め方』