『関係性』を学ぶ② | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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昨日も言いましたけれど、どうしても私達は何かトラブルがありますと、そのトラブルメーカーを悪者にして、事たれりとする風潮が強いようです。それで満足できればいいですけど、そのトラブルが続行している場合、ますます怒りが高じてしまうんですね。

 

例えば電車の中で、特定のグループが大きな声でおしゃべりをしています。周りは非常に迷惑しています。このような時、ほとんどの人は、うるさい連中を『悪者』に仕立て上げ、納得しようとします。しかし当の本人達はまったく感知せず、ますます声は大きくなるばかりです。

『おしゃべりをやめてくれさえすれば、問題は解決する』

と言う一見合理的な考えは、実はまったく他力本願です。私達にはどうすることも出来ない分、ますますストレスがたまります。

 

 

以前何かの折で、こんなことを言いました。

『問題解決の糸口は、困っている本人の中にしかない』

おしゃべり軍団はトラブルメーカーではありますが、彼らはまったく困っていません。だから彼らに何とかしてもらおうなんて考えはまったくのムダです。困っているのはあなたを含めた周囲の人です。

そう、怒りの感情を勝手に作り、それに捉われて苦しんでいるのはほかならぬあなた自身です。

 

長くなるので結論を言いますと、私達は自分自身の考え方や捉え方、感じ方などで、勝手に悩みやストレスを作り出しているのです。

昨日の例もそうでしたね。自分の自己肯定感が低いから、他人の何気ない動作にイラつき、自分への嫌がらせかあてつけに感じてしまい、ますます怒りを増幅させてしまいました。

このような捉え方を『関係性で考える』と言いました。

 

さて、今日の話しはそれをもう少し推し進めて、

『被害者のあなたにも過失が有るのですよ』と言った話しです。

昨日交通事故の話しをしました。どちらか一方だけが悪いのではなく、双方にそれぞれ過失が有るとする見方が一般的になっているようです。もちろん事故だけでなく、他のあらゆる問題も同様に考えることが出来ると思います。

 

例えば、あなたの周囲にこう言う人は居ませんか。

『いつも自分のことばかりしゃべっている。』

『人の話しを聞かない。』

どうすればいいでしょうね。その人が気づいて変わってくれればいいのですが。望み薄です。口頭で伝えたとしても、聞くような相手ではありません。

 

こういう時に力を発揮するのが『関係性』と言う考えです。つまり、相手だけが問題ではなく、『自分もその問題の片棒を担いでいる、自分もまた、問題の当事者である。』とする捉え方です。

どうしても自己受容が出来ていない人は、自分の内面を捉えるのが苦手ですから、自分もまた当事者で有る事実に気づきにくいのです。

 

 

では、どうするべきなんでしょうか。

相手が自分のことばかりしゃべったり、人の話しを聞かないのは、『あなたが相手を指摘すると、険悪なムードになるから、遠慮している』と言う事実があり、さらにその事実から、『だから不愉快な話しを辛抱してひたすら聞いている』と言う事実が判明してくるのです。

つまり、あなたのこういう態度が、相手をますますおしゃべりに仕立て上げているのです。

 

相手にとってのあなたは、、『この人、自分の話しをさえぎらずに聞いてくれる、とってもいい人』と思われているのです。

とんでもないですよね。

ですから対処法としては、相手にそう思わせないようにするしかありません。

具体的には、『視線を合わせない』、『やたら相槌を打たない』、『返事をしない』などの戦法が有るでしょう、それでもやめないならば、『これから約束があるので、お先に失礼!』と、お暇してしまうことです。

 

このように、自分もまたその問題に肩入れしている。自分も問題発生に関与している。とするのが関係性の考え方です。

要は、『相手だけを悪人と決め付けない』と言うことでしょうか。

メンタルヘルス的にも、役に立つ考え方ですよね。

 

参考・・・『頑張りすぎる人たちへ』、『自己肯定感の高め方』