『関係性』を学ぶ① | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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家の近くで事故が起きました。

歩行者が車に撥ねられたと言うものです。

これだけだと、車の運転者が100パーセント悪いように思えます。でも歩行者は横断歩道を渡らず、しかも信号無視をしていたらしいのです。とっさにブレーキを踏んだものの、間に合わなかったようです。幸い歩行者は命に別状は無かったようです。

 

 

他の交通事故でもそうですが、加害者が100パーセント悪いと言ったケースは極めて希だと言います。必ず被害者側にも何らかの過失が認められるそうです。

事故ばかりではありません。私達の身の回りには、しばしば問題が拗れ、誰が被害者で誰が加害者だかわからなくなってしまうことがあります。勿論当事者達は、『自分こそ被害者だ』と言い張るでしょう。

 

このような場合、当事者同士の『関係性』が注目される場合があります。問題が拗れてくると、当事者の心にはあせりの気持ちが強くなり、早急な解決を渇望するようになります。その結果はたいてい無意味な『犯人探し』に終結してしまいます。問題が長期化している場合、いまさら『犯人探し』をしてもどうにもなりません。

そこで当事者を個人としてみるのではなく、お互いコミュニケーションのネットワークの中の存在として、見ていくのです。

 

また前置きが長くなりそうなので、はしょります。

私達は中々『関係性』と言う視点が持ちにくく、何か問題が有ると、つい『あいつが悪い』と怒りの感情を燃やすか、『自分が悪い』と、ますます自己肯定感を下げてしまうか、いずれかの対応をとってしまいがちです。どちらにせよ、不快な感情を味わうことになるので、好ましい対応とはいえません。

 

 

そこで、どうせ不快な感情を味わうのなら、喧嘩両成敗ではありませんが、『どちらも悪い』と考えてみたらいかがでしょう。

少しは楽になるような気がすると思います。

例えば電車に乗っていたら、知らない親父が他にも空いた席がたくさん有るにもかかわらず、あなたの隣にドスンと座り、新聞を広げて読み出したとしましょう。

 

このクソ親父! 何でよりによって俺の隣に来るんだよ!

と思うでしょう。クソ親父が100パーセント悪いと考えますよね。そうなると自分だけ不幸にも選ばれてしまった悲劇のヒーローになり、怒りが百万倍になります。

でも、このように考えているあなたは、無意識のうちに『自己否定』しているんです。

『自分は弱虫だから、親父のストレス解消の道具にされているんだ、こんな親父からもバカにされるようなダメ人間なんだ』

 

わかりますよね。

一見相手を否定しているようでありながら、実はそれ以前に自分で自分を否定しているんです。もしあなたがもう少し自己肯定感が高かったならば、ここまで相手を非難する必要は無いのかもしれません。多少不快になるかもしれませんけどね。 

ちょっと分かりづらいかもしれませんが、このような『関係性』による捉らえ方が習慣化していけば、少しは無意味な個人攻撃が減るような気がするのですね。

 

参考・・・『ブリーフセラピー講義』、『自己肯定感の低いあなたが変わる方法』