YES? or NO? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

私が有る自助グループ(神経質者の会ではない)につながってしばらくした頃、そこのお偉い方より、リーダーをやってくれまいかとオファーがありました。

当時は公私ともども悩みの絶頂期であり、こんな時期にリーダーなど引き受けられるわけが無い。引き受けたところで出来るはずがないと思い込み、辞退しようとしました。

 

ですが、ちょうどその頃、神経質者の先輩から、こんな話しを聞いたのです。

人から物事を頼まれて、引き受けるかどうか迷ったときは、とりあえず『YES』と返事した方が良い。

その理由は以下のとおりである。

 

 

①神経質者はいたずらに躊躇逡巡するために、せっかくの好機を逃してしまうことが多い。運命の女神は前髪しか生えていなくて、後ろはつるつるなのだそうだ。だから機会が去った後で『引き受ければよかった』と思っても遅いのだ。

 

②『迷う』と言う状態は、果たして出来るか出来ないか、自分で判断しかねている状態である。初めから出来ない事は迷いようが無い。『迷う』と言うことは、出来る可能性が有る時である。

また、人に依頼された場合は、相手があなたならちゃんとやってくれると信じた上で、頼んでいるのである。それを気分で断ったりしたら、相手を裏切ることになる。

 

③勿論、引き受けたがために後悔する事だって有ろう。けれど『引き受けなかった』事による後悔よりは、ずいぶん小さいものなのである。

こんな言葉が有る。

『した事の後悔は、日に日に小さくなってくる。

しなかった事に対する後悔は、日に日に大きくなってくる。』

 

そういうアドバイスを受けましたので、とりあえず『はい!』と返事しました。ところがその後いろいろありまして、自助グループそのものが分解してしまいまして、結局私は長くリーダーになる事はありませんでしたが、

お偉いさんの嬉しそうな顔を思い出すたびに、引き受けしておいてよかったなぁと思うのです。

 

そんな経験がありますので、今でも地域や共同体で引き受けるかどうか迷ったときは、よほどの事情が無い限り、引き受けることにしています。

気分はどうあれ、引き受けてしまえば、後は目標達成のために努力をするしかありません。

 

そんな努力や工夫の過程の中で、周囲からの信頼も厚くなりますし、何より自分自身の成長にもなります。

その中で最も大きいメリットと言えば、自分が物事に対して主体的に取り組み、行動せざるを得ないことだと思うのです。

 

自分が発言し、実行するとなりますと、それなりの義務と責任が生じます。困難に直面したときは、自分の気分や症状をかまっている場合でなく、臨機応変な対応を迫られます。結果、症状に意識が集まることがなくなります。

神経質者の会でも、出来るだけいろいろな役割を経験しなさいと薦めているのも、同じ理由です。

 

 

どのような団体、共同体の中であっても、自分がリードする立場に身をおくことが、精神衛生にとっても大切な事だと思います。

人の判断に従ってついていくだけでなく、自分の判断で物事を決定し、人を引っ張っていくくらいが、ちょうど良いのではないでしょうか。

 

最近定年後の生きがい論が盛んです。

『生きがい』を求めて、定年後各種のセミナーや勉強会の参加する方も増えているようです。

けれど本当にそのことを知りたい人はともかく、それ以外の人には暇つぶしにはなっても、あまり面白みは感じにくいようですね。

 

やはり幹事やリーダーなどを引き受けて、わずらわしい思いをしながらも、それを克服していくような体験をしていかないと、いつまでたっても『生きがい』どころか『居場所』さえも得られないのではないかと思うのです。

最後に、有名な言葉を紹介しておきます。

『鶏頭となるも、牛後となる無かれ』