"諦める"と言う選択 | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

『リトル・ターン』と言うお話をご存知だろうか? なぜだか突然飛べなくなってしまった、哀れな鳥の物語である。

何とか飛ぼうと頑張ってみる。だが何度挑戦してもだめだった。鳥は焦り、うろたえ、怒り、うらみ、そして絶望した。

 

歩くのは不得意だけれど、歩いていくしかない。そうしてとぼとぼ歩いているうちに、鳥は飛ぶことだけが、鳥のあり方ではないと気づくことになる。そして自分達が普段見向きもしなかった地上にも、さまざまな命の営みがあり、ここで暮らしていくのも面白いではないかと気づいたときに、

 

鳥は再び飛べるようになっていた。

何とか飛ぼう、飛ばなくてはいけない。このような考えにとらわれていた間は、飛ぶことが出来なかった。

けれども、『飛ばなくても生きていける』と悟ったときに、ふと気づいたら、飛べるようになっていたのである。

 

 

神経質症の治り方も、これに似ている。

 

『こうあるべき』と言う強迫観念にとらわれて、身動きできなくなっている人は少なくない。たとえば一生懸命に勉強して希望の学校に入ったが、授業についていけずに不登校になるケースがある。何とか学校に行こうとするのだが行けない。親御さんも何とか行かせようとする。

 

そんなときに、『学校に行かなくても、良いこといっぱいあるじゃない!』

『不登校って言う生き方も、捨てたもんじゃないじゃない』

そんな風に考え直したら、改めてやる気が出てきた。

そんな話しを聞いたことがある。

 

いったんレールから外れてみる。

意外とそれが、目的への近道だったりするから、人間って面白い。