『リトル・ターン』と言うお話をご存知だろうか? なぜだか突然飛べなくなってしまった、哀れな鳥の物語である。
何とか飛ぼうと頑張ってみる。だが何度挑戦してもだめだった。鳥は焦り、うろたえ、怒り、うらみ、そして絶望した。
歩くのは不得意だけれど、歩いていくしかない。そうしてとぼとぼ歩いているうちに、鳥は飛ぶことだけが、鳥のあり方ではないと気づくことになる。そして自分達が普段見向きもしなかった地上にも、さまざまな命の営みがあり、ここで暮らしていくのも面白いではないかと気づいたときに、
鳥は再び飛べるようになっていた。
何とか飛ぼう、飛ばなくてはいけない。このような考えにとらわれていた間は、飛ぶことが出来なかった。
けれども、『飛ばなくても生きていける』と悟ったときに、ふと気づいたら、飛べるようになっていたのである。
神経質症の治り方も、これに似ている。
『こうあるべき』と言う強迫観念にとらわれて、身動きできなくなっている人は少なくない。たとえば一生懸命に勉強して希望の学校に入ったが、授業についていけずに不登校になるケースがある。何とか学校に行こうとするのだが行けない。親御さんも何とか行かせようとする。
そんなときに、『学校に行かなくても、良いこといっぱいあるじゃない!』
『不登校って言う生き方も、捨てたもんじゃないじゃない』
そんな風に考え直したら、改めてやる気が出てきた。
そんな話しを聞いたことがある。
いったんレールから外れてみる。
意外とそれが、目的への近道だったりするから、人間って面白い。