神経質を発揮する。 | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

最近うちの現場では、あまり『掛け声』が聞こえなくなったように思う。たとえば複数で機械を修理する場合、スイッチを操作するときは、必ず別の作業者に声をかけたものだ。でないと、もし知らない間に機械が動いて、反対側にいた作業者が機械に巻き込まれることになる。

 

修理のときばかりではない。たとえば機械の組み立てをしている作業者の後ろを、台車が通るときがある。勿論作業者は組み立てに熱中しているので、台車には気づかない。そういう時は、台車を押している人が、一言『通りますよ!』と声をかけるのがルールである。

 

 

こういう現象は自分の職場だけかと思っていたら、そうでもないらしい。歩道を歩いていると、時々ヒヤッとさせられることがある。その原因は歩道を走る自転車である。後ろから追い抜かれるとき、彼らはまったく無音である。ベルくらい鳴らしてもよさそうなものなのに、何もしない。実際に自転車の若者に接触されて大怪我をしたお年寄りもいる。

 

話しが横道にそれるかもしれないが、『挨拶』も声かけのひとつである。ちゃんと挨拶できる作業者は、おそらく現場での声かけもしっかり出来ているものと思う。危険な見込み作業をして、当方がヒヤッとさせられるのは、挨拶も満足に出来ない輩が多い気がする。

 

挨拶だけなら、多少不満は残るものの、たいした問題ではない。しかし、現場において声かけがなされないばかりに、人の命にかかわるような大事故が起きたのではたまらない。

私は何人かの"物静かな"後輩達に、挨拶や声かけをしない理由を尋ねてみた。すると、一人から意外な答えが帰ってきた。

 

・・神経質・・だからです。

はぁ? ・・・私は目がテンになった。どういうことだ?

・・恥ずかしいんですよね。なんて言うか、大きな声を出すと、自分や相手が注目されるじゃないですかぁ、それがすごくイヤなんですよね・・WW

 

何と言う言い草だ。まるで挨拶や声賭けをすることが『無神経』であるかのようではないか?

じゃあ聞くが、現場で作業中の作業者の脇をすり抜けるときや、歩道で歩行者を追い抜くときに、声をかけるのも『無神経』なのかい?

声をかければ相手がびっくりする。だから"物静か"にやり過ごすのが、.ルールにのっとったやり方なのか?

 

 

私に言わせれば、それこそが『無神経』である。

要は、相手がひっくりすることで、自分が注目されるのがイヤなのである。その後相手がどのようになろうが、知ったことではない。純粋に自己中心的な発想なのである。

神経質はいろいろなことを心配する。普通それは『欠点』として数えられる。

 

だが私は、そういう特質を『長所』として認識している。現場では何より必要な『危険予知能力』に長けていると言うことではないか。

『神経質』は、『神経質』が足りないから、『神経質』になるのである。

もっと『神経質』になる事。もっと『神経質』を発揮すること。具体的には:現場でちゃんと声かけをする。人を追い抜くときには、何らかのサインを出す(ベルがなければ、咳払いでも良い)。このようなことを地道に実行しておれば、いつしか現場になくてはならない人になりえるのである。