役割の交替? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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引き続き『ゲーム』について考えております。

最初はおとなしく話し合いをしていましたが、お互いが自分の立場を主張して譲らず、かたくなな態度をとり始めました。それにつれて言葉遣いも粗雑になり、最初は紳士的だった話し合いも、おしまいの頃にはお互いがお互いを罵倒するような修羅場と化してしまいました。

このようなことは良くありますよね。


昨日の例でも同様です。

最初母親は、歯磨きすることを優しく諭していました。しかし子供が中々言うことを聞かないために、少しずつ命令口調になってきました。それでも動かない子供に痺れを切らし、最後は『何べんも同じ事言わせるな』と、キレてしまいました。

最初はおとなしかったのに、途中から態度が変わってしまうことは良くあります。『ゲーム』も進行途中での『態度の変化』は必須課題のようなものです。

このような『態度の変化』を交流分析では『役割の交替』と表現しています。


『役割の交替』は、自我状態の切り替えに対応しています。裏面交流により隠れた意図に気づき始め、今までの表面的なやり取りが行き詰り始めるために、自我状態の切り替えが起こると考えられています。

カープマンは、ゲームを演じるプレイヤーの立場を『迫害者』、『犠牲者』、『救済者』の3つに割り当てました。

これらはゲームの進行につれてその役割を変えることを示しました。

下の図が有名なカープマンの『ゲームの三角形』と呼ばれるものですね。

カープ


『迫害者』は、他者を自分より一段低い立場においています。

『救済者』も同様に、他者を一段低い立場においています。『救済者』は他者を「この人は、自分で自分を何とかするだけの能力を持っていない」と信じ込んでいます。

『犠牲者』は、他者より一段低い立場に身をおいています。そして意識するしないに係わらず迫害者や救済者を探し、「やっぱり私はダメなんだ」と言う立場をより強化していくのであります。

ちょっと難しいかもしれません。では、こんな例ではいかがでしょう。


母『一緒に宿題やろうね。ケーキもあるよぉ』(救済者)

子『は~い! ・・・だけどやりたくないなぁ、ケーキは欲しいけど』(犠牲者)

・・・一生懸命子供に勉強を教えているのだが、子供は理解できていないようだ、やがて母親にも苛立ちが生じ、つい大きな声を上げてしまう・・・

母『アレだけ勉強したのに、何で出来ないの!』(迫害者)

子『バカなんだからしょうがないだろ、くそっ、絶対に理解してやるものか』(迫害者)

・・・子供が頑として勉強を受け付けない様子を見て、母親は自分のやり方を猛省する。

母『ああ、またやっちゃったのね、子供だけはちゃんと育てようと頑張っているのに・・・しくしく(泣く』(犠牲者)

子『ママ、僕が悪いんだ、だから泣かないで・・』(救済者)


ざっとこんな感じです。イメージつかんでもらえましたか。

『ゲーム』の進行には役割の交替が不可欠です。と言うことは途中で役割の交替がなければ『ゲーム』は進行しないと言うことでもあるのです。

このお母さんもずっと『救済者』の立場を堅持していれば、いやな感情を味わわないで済んだかもしれないのです。

次回は、何故このような不毛な『ゲーム』をしてしまうのか。そこいらを考えてみたいと思います。


参考・・・『交流分析に基づくカウンセリング』