「正しい人」って?? | 神経質逍遥(神経質礼賛ブログ)

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何のとりえもない平凡で臆病者の神経質者が語る森田的生き方ブログです。

先だってラジオを聴いていましたら、次のようなクイズをやっていました。

あの悪名高き「生類憐みの令」では、なんと夏の風物詩である「打ち水」を禁止していたのだそうです。

その理由とは何であろうか?

と言うものですが、正解はなんと「ぼうふらが死んでしまうから」だそうです。

打ち水


「生類憐みの令」ではもちろん動物をいじめたりすると即刻打ち首、手に止まった「蚊」をぴしゃっとやっただけでもしょっ引かれる可能性があったと言います。当時打ち水はたまった雨水などを使用していたため、しばしばぼうふらが発生していました。なのにそのまま撒くてしまいますと、ぼうふらが干からびて死んでしまうんですね。だから禁止されていたようです。当時に生まれてなくて良かったよね。


私はこの話を聞いて、どこぞの国の環境保護団体を思い出しました。グリーンピースだったかシーシェパードだったか忘れましたが、日本の捕鯨船を邪魔したり、漁民の生活を脅かす行為を繰り返していると言います。

暴力とかの違反行為ではないので、警察も取り締まることが出来ないそうです。

例えば鯨漁に行く漁民を車の前で立ちはだかり邪魔をしたり、当然漁民は怒りますがその怒った映像を母国に流し、「ほら、日本人ってこんなに野蛮なんだよ」とか説明しているらしいのです。

ほんとにしょうがない連中ですよね。


ピース


ぼうふらを「動物」に入れてよいかは別として、「動物」を守ると言う視点で見れば、「生類憐みの令」も「グリーンピース」も、倫理的道徳的には決して間違ったことはしていないのです。つまりは「正しい」のです。

でも間違っています。その証拠に多くの人たちが迷惑をしています。環境保護団体のせいで漁にいけず、死活問題にまで発展しているケースもあります。


いろいろな人が世の中には居ます。その中にはもちろん倫理的道徳的に「正しい」人も居るかもしれませんが、それよりもはるかに「自分を正しいものと思いこんでいる人」の数が圧倒的に多いのではないでしょうか。いわゆる「正義の人」であります。

彼らはいつも自分こそ「正しい」と思い込んでいて、よって少しも内省せず、他人からの批判も許さない誠に度し難い人たちです。

正義の人は何か不都合なことがあると、「非」は決して自分にあるとは考えず、必ず相手にあるものと思い込んでいます。だから人を責めることには容赦がないんですね。


もちろん正義の人の論理にも「一理」はあります。その一理のみをあたかも丸太棒のように振り回して人をやり込め、自分を立てようとする処に、彼らが「エゴイスト」と呼ばれるゆえんがあるのでしょう。

もともと正義と言うものは、私たちの社会生活を円滑に遂行できるように考えられた一種の約束事なので、一人ひとり異なった人情や感情の発露とはまったく趣の異なるものであります。

ですから日常生活で「正義」を主張する場合には十分すぎるほどの自己反省と、相手に対する温情が伴わなければみんなから総スカンを食い、結局「一理」たりとも実現を見ないことになるのです。

正義


「正義の人」と言う言葉から、私はいつもある一人の人物を思い描きます。

それは警官「ジャベール」!

ジャンバルジャンの同情すべき立場や事情、その聖者に近い善行などをまったく考慮することなく、窃盗は犯罪であり、罪を罰するのが正義であると言う一本調子の執念は人間味に欠けることこの上ありません。

したがってジャベールは「まったく非の打ち所のないほど正しい」にもかかわらず、一般人から嫌われてしまうのであります。


え? 誰に向かってこんな御託並べているのかって?

そりゃもちろん私も含めた神経質者の皆さんですよ。彼らは理論派ですからね。理論的に「正しい」事を追及していく過程で理論では割り切れないものや不合理なものを排除していく傾向がありますので、どうしても自己満足的な「正義の人」になってしまう可能性が高いのです。

しかも何を考えてんだか「正義を極めた人間が嫌われるはずがない」と言う「珍妙」な思い込みが、「正しさ追求」の方向性を賦活させているんですね。本当は人に嫌われたくない、人に認められたいというのが大きな理由なのですが。


参考・・・生きる知恵(白揚社)